以下の文章はネット上で見つけたもので、意識の謎に関する一つの考え方です。


「脳のニューロンの活動をいくら精密に調べても、「現にいま、こうして世界を眺め、感じている」自分の意識は、どこにも見つからないのです。


「脳の物理現象によって、意識を説明できない」ということは、「意識」とは、物理現象を超越した、霊や魂のようなものなのでしょうか?


核磁気共鳴画像法や陽電子断層撮影法などの、脳の測定機器がどんなに進歩しても、測定できるのは、あくまで、物理現象である、分子、原子、電子などの物理的な活動でしかなく、それとは別物である「意識」を測定することはできません。


そして、物理現象でないものは、科学では解明が不可能です。

なぜなら、科学が扱えるのは、物理現象だけだからです。


したがって、意識の謎は、科学によっては解明不可能なのです。

(中略)


結局南極、科学的思考によって脳内のニューロンに記述できるは「~という物理現象」という思考でしかなく、科学的思考の積み重ねによって「~という感覚」という直接的な感覚経験を脳内のニューロンに記述することは不可能なのです。

そして、全ての思考は脳内のニューロン塊の動的状態として記述されますから、脳内のニューロン塊の動的状態として記述できない直接的な感覚経験を扱うことは、不可能なのです。

ここが科学的思考の限界なのです。

直接的な感覚経験を記述する唯一の方法は、直接的な感覚経験それ自体でしかあり得ないのです。」

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070204/1170557201


以上の文に対して、私なりの見解を示したいと思います。


まず感覚経験を物理現象から峻別しているように、思われます。確かに意識は物理的に測定できません。だからといって意識が物理現象でないと言い切れるには問題がありそうです。まず物理現象をどのように捉えるかが問題になりそうです。


測定ができない物理現象はこの世にはいくらでも有り、また再現不可能な現象を物理の枠で議論しているのは、量子の解釈問題、宇宙のビッグバン、の例がありますし、因果関係も現物理世界ではクローズされていないと思われます。つまりはこの物理世界はクローズされていなくて、宇宙の存在の基幹が無いのですから、「測定ができないから」なんての言い訳はやめにして欲しいものです。

そもそも測定自身にどのような意味を見出して科学思考の限界を声高におっしゃるのでしょうか?


又、「~という物理現象」という思考でしかなく、科学的思考の積み重ねによって「~という感覚」という直接的な感覚経験を脳内のニューロンに記述することは不可能と有りますがこのような断言は、物理学に携わっている人間としては口に出してはいけない、思考停止の発言です。

そして、究極的なポイントである直接的な感覚経験を記述する唯一の方法は、直接的な感覚経験それ自体でしかあり得ないのです」。確かに直接的な感覚経験は直接的は感覚経験それ自体でしか経験できないのかもしれません。それをもって測定不能という判断が出てきたのでしょうが、感覚経験を記述する方法については、人類がまだ到達していないかも知れませんが、必ず入手できる知識でしょう。なぜなら現実に再現可能性のある現象であると思われるからです。

脳内現象は現物理現象全てにより動作・活動しております。したがて量子効果も考慮に入れるべきです。それらを含めた現象として人類が理解可能なスキルとしての解析が求められるのです。当然今人類が扱える技術・スキルはまだまだ稚拙です。気の遠くなるようなトンネルを抜け出なくてはいけないのでしょう。

しかし。感覚経験と物理的脳活動には対応性が見られます。この路線(対応性の解読)を突き進んでいけば、それなりに輪郭も得られるでしょう。個別ニューロンの活動の意義を見つけるのです。

そこには感覚経験と物理的脳活動のギャップが明確に現われているはずです。この次元の異なったギャップ間の対応性追究。

この辺りが、意識の謎のポイントになりそうです。