今回以降は、前回の延長線上にある新システム論について敷衍していきます。この新システムは生命体脳システム専用と思われます。それも、特別なシステムです。他に例を見ません。


では、

脳システムは生命体に付属していますから、生命体の傾向を持たされている事には、疑いがありません。つまり生命体の本質である、{種の継続}と{個の存続}を傾向とした進化の圧力がかかってきているということです。

傾向とはたまたま物理現象がその方向に傾いて多く生起するという物で。傾向は物理構造に一義的に従属します。つまり物理構造だけによると言う事です。そこにはなんらの意志はありません。あると無理に考えれば、宇宙の意志としか言えませんね。

脳もその例に漏れないはずです。確かに傾向は見受けられます。しかしそこにはなんらの意志もないはずで、脳の存在目的もありません。そう考えられます。脳は持たされた物理構造に従った物理活動を行い、その結果生きていけますし子孫も残せます。

この脳システムは物体から出来上がっているのです。物理物質から出来上がった神経細胞の活動から生命体の機能が生まれてきます。脳神経細胞はなんらの感覚もなく、なんらの意識もなく、ただ自分の出来る物理活動だけを忠実に実行しています。その組合せに傾向が創生されるのです。複雑系です。この傾向がさらなる強固な傾向を生むように進化が進みます。

以上は皆さん常識的に納得されているはずです。


ここで一歩、歩みを進めて脳内情報の意味を考えて見ましょう。

この脳機能の傾向が意味に転換出来るかどうか。つまり意味が脳内に創生されるかどうか?

神経細胞の活動の組合せに意味が起こってくると前回書きました。このことをもう一度しっかり考え直そうと思います。つまり意味が起こってくるのは本当なのか、脳のどこにどう起こるのか、脳の何がその意味を理解するのか、納得するのか。これらのことが明確でないと誰もが納得しないと考えられます。


そこで、例えば交通信号の信号が赤である場合を例にとります。視覚信号が目から脳システムに至り赤信号が見えた時、特別に活動する神経活動パターンが観測されたとしましょう。するとこの特別な活動パターンに意味が起こってくるのでしょうか?このパターンに赤信号という意味がひっついているのでしょうか。ここが大変難しい問題となります。先ほど来の議論です。意味がないとも、あるとも言えそうですから。


”ない”という場合を考えてみます。生命体は物理物体から出来ており、全ては物理現象の連鎖から生まれているとの認識がまずあります。そこには傾向こそ見られるが、それ以上の意味が現われてこないという判断をします。納得できますよね。物理現象は物理現象以上のものではないという理解です。いくら複雑に組み合わさってもそこにある情報は管理情報でしかなく、意味を持った情報ではないという理解です。将棋倒しの駒がいかに複雑にくみあわされて成り立っていてもその倒れた将棋の現象に意味が見られないという考え方です。常識的な万人が認める考え方です。しかし意識のアプローチは出来ません。


一方、“ある”という考え方からの考察はこうです。

たしかに生命体は物理物体からなる物理現象の連鎖から成り立っています。脳システムもその例外ではありません。しかし生命体は特殊な構成からなりたっています。それは構造に特殊は傾向を持っているのです。それは{種の継続}と{個の存続}という傾向です。そのために、脳内には外部世界と対応のついた、情報世界が存在するのです。赤い信号しかり、赤いリンゴ、こわい蛇、おいしいケーキ、大好きな恋人、などなどが情報として脳内に存在します。これらの情報は外部から観察すれば、管理情報の域を出ず、外部世界と対応した情報パターンとしか把握できません。


しかし見方を変えれば全く違った世界が現われてきます。情報パターンからなる脳神経活動に、脳内情報世界が対応していると考えます。全く異次元の世界です。意味を持たない情報パターンからなる脳システム、そこに新しい情報世界を生み出すのは何なのか。これが新たな問題となります。


だれもなにもそこ(脳)には存在していません。脳はただただ忠実に物理活動を、構造の傾向に従って、物理法則に従って、量子現象に従って、宇宙原理に従って活動を継続しているのです。しかしその活動は生命を維持、継続させるという傾向を持っていますし、現実そのようになっています。その傾向が究極的に情報に意味を創生させたと考えられます。


問題は、全てを含んだ物理現象の積み重ね、連携が生命の傾向を生み出すという物理現象の究極からそこに情報世界があらわれ、さらに“意味”が現われてきます。この“意味”は脳神経活動に密着していなくて、情報世界が生み出すのです。ですから脳神経活動と意味は全く関係ないと理解出来ます。言葉を変えますと、脳神経活動には“意味”がありません。“意味”は脳神経活動が創り上げる情報世界にあるのです。脳神経活動をいくら観察してもニューロンの発火現象が見られるだけです。そこには意識など見られません。


脳神経活動は傾向を持った管理情報であり、情報の意味とは対応付けは可能で、一方情報世界はこれらの雰囲気から生まれた異次元情報世界と理解出来ます。その世界の“意味”が“意識”になります。


今回の論理的説明は多少強引な説明だと感じられた方もいらっしゃるかも知れません。しかし現実確かに、私は意識があり、赤いと感じられます。赤の信号時には渡りません。意味を理解出来るのです。この現実は意識が脳から派生し創生されているという事実を明瞭に物語っているのです。この事実は論理説明の論理飛躍をおぎなって余りあると考えます。


この“ある”、“ない”の判断が意識の追究にとって最重要であるのは、分かっていただけたでしょうか。そしてその問題は「情報世界が脳内システムに出来上がるのか?」に尽きます。全く新しいシステムで、コンピュータとは異なります。次回はこのあたりを。