引き続き

「知覚の正体」古賀一男 河出ブックス

を読んでいます。


内容がエッセー風で著者の思索の跡、雰囲気がよく伝わり、

読み物としては興味深く読めましたが、

残念ながら、知的好奇心を満足させてくれるほどの内容ではありませんでした。この感想は私個人の感想ですから、“そんな事はない”と怒られるかも知れませんね。



でも、著者の考えに大いに共感するところがありましたので、今日はその紹介を。

それは、ブラインド・スポットの知覚とフィリング・インという知覚現象の、成因原因についての話です。


ブラインド・スポットとは網膜のある領域のことで、その領域は視神経の束の網膜から脳への出口にあたり、そこには視覚神経が存在せず、視感覚が生じないといわれています。いわゆる日本語の盲点です。

この盲点では物が見えないはずなのに、認識レベルにおいては見えているように感じます。つまり、盲点の周りの情報により、辻褄が合うように充填され見えていると認識されるのです。


またフィリング・インも同じく

例えばボンヤリとした色彩の線分で囲まれた内側が空白になっている図形を長時間見つめると、周囲の線分の色や形の知覚は消失し、そのかわりに空白だった線分に囲まれた内部の肌理だけが見える知覚が生じる。」と言う物で、


ブラインド・スポットと同様フィリング・インも脳の中枢メカニズムが働くと考えられています。つまり中枢が創り上げるというのです。


以上の解釈として、たくさんある説の中で、

その代表的なものの一つは、ゲシュタルト心理学者が主張した「心理物理同型説(イソモルフィズム)」による説明で、

私たちが目にしたり聞いたり感じたりする環境の物理状態は、知覚したり感じたりする中枢(大脳)においても類似の生理学的現象(場)が生じていることを想定する仮説

というのがあります。

フィリング・インというヒトの知覚として誰にでも生じる現象は実際の中枢神経系も回路内においても生じているに違いないというのが心理物理同型説に依拠したフィリング・イン仮説である。」のです。


この説は、常識的に考えておかしくないというレベルの話でしかないので、そこに著者は噛み付き

私はいつもこの手の事実に基づかない推測や常識について疑問を感じる癖がある。事実を伴わない仮定や仮説、あるいは因果関係の証拠を示さない推論、あるいはなだ詳細に検討されなければならないことが残っている暫定的結論、等の多くが中枢神経系をゴミ捨て場のようにして使う事には賛成できないし、安易に心理学的と称する問題にすり替えることにも同意できない。

といわれます。私も全く同感です。

根拠も無く“こうだろう”という思いで結論付けてしまう例が多く見られ、これに対し警鐘を鳴らしているのです。


でも、

多分、現時点では実証不可能なことがありすぎ、多くの科学者もやきもきしているのでしょう。だれも好んで“この手の事実に基づかない推測や常識”を振り回したりしません。でも何か言っておかないといけない、と言うジレンマの結果。



確かに、事実に基づかない推測や常識だけの文章に遭遇すれば気分を害されますよね。

だから、自戒の意味を含め、充分気をつけます。