昨日ブログで紹介しました久坂玄瑞の関係文を読んでいましたら、それは確実に久坂玄瑞の手紙でなく、たぶん友人・交遊関係の人物の手紙である事がわかりました。

でも読み進めています。


それと並行して、松陰全集をパラパラめくりで読んでいましたら、その物が見つかりました。先生が酷評した手紙です。

私は書簡篇を中心にさがし・見ていたのが間違いで、第四巻にある詩文拾遺、詩文評に関係文章があったのです。



松陰先生の酷評を受けたその手紙は

「奉呈義卿吉田君案下」安政3年56月頃  の久坂玄瑞からの手紙です。


漢文ですが、久坂玄瑞の漢文は読みやすくわかり易いので、次回に全文の翻訳を挙げる予定。

(今日翻訳しないのは、これから梅田に出かけるからです。買い物に。)


いずれにせよ、この年の5~6月以降の松陰先生と久坂玄瑞のやり取りは、興味深いものですから、少しわき道に入りますが、ブログのテーマとするつもりです。

これらにより、久坂玄瑞が先生の下に通う(村塾に入門した)きっかけになったいきさつが分かるでしょう。