この日曜日に、関西の国会図書館に始めて行きました。京都府の南いなかの相楽郡に位置しています。ここは兄貴の家の近くですから、側はしょっちゅう通っていたし、一度は入ってみたいなとも思っていたんですけれど、

今回久坂玄瑞全集を見ようと、始めて入りました。

この辺りは、環境は抜群、研究施設がいっぱいあり、図書館もおおきな建物でゆったりとした内部、でも残念ながら、借本はできません。

ので、松陰先生とのやり取りの開始時期の手紙3通のコピーをして帰りました。


この3通のうちの最初の手紙は以前のブログ「久坂玄瑞(3)」に訳しました。

また、この初めての久坂の手紙への返事内容の後半部を、ブログ「丙辰幽室文稿(22)」に訳しています。

そして、今日はその前半部を訳します。

残り2通及びそれらに対する松陰先生の返答は、順次ブログに挙げていきます。

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松陰先生は、“幽室の身であるから、世間との交わりを絶つ”と誓いをたてている。従って、見知らぬ人物との交流をなるべく避けたかったのです。そこで玄瑞の手紙にも返書を返さず、玄瑞の手紙の余白に返答を書き加え返却しました。



久坂生の文を評す      (安政3年6月2日夜 松陰・久坂在萩松本)


僕、家に居て以来、誓って世と通ぜず。今貴書を得た。

答えざるを欲するは、すなわち来意を負わんとする、

(貴兄の来意・書の内容そのまま、答えられないが)

答えんと欲するは、すなわち前の誓いが在るによる。

(私が誓った事の範囲内で答えたい)


よって

貴書を返却し、以って前の誓いを踏み、

妄見を、その貴書の余白に録す事により、以って来意に報いる。


兄よ、その意を知れ。

その礼(手紙での返礼)を略す。

かつ人に語る無かれ。

これ、幸甚となす。


○僕の師、治心気翁(松陰の幼少時の後見人)は、余の為、貴殿の兄・玄機の言った事を述べてくれた。後で中村道太郎(松陰の親しき益友)がまたしばしばこれを言う。


余よって、その人と一見したく思ったが、しかしてその人すなわち死亡す。ただ涙落ちるのみ。

近人が又言う、玄機に弟あり、名は玄瑞、又奇士であると。


しかして、岸獄の人・我は、もとより面識の無い人と目見ゆる事ができない、すなわちこれまた望みを絶つ。


今突然この書を得た。

玄機を知らんと欲すが、得ず。

玄瑞すなわちあり、玄瑞を見まく欲すれど、あたわず。

すなわち、その文を読む。


さて、

僕、これ狂妄、言うに足ざると言えども、貴兄の考えに共感する事、また既に久しい。だが議論は浮き足立っており、思慮浅薄、とても“至誠が内より出る”という言ではない。・・・・・・

以下は丙辰幽室文稿「評久坂生文」(以前のブログにあり)に続く。