タイトル久坂玄瑞のブログでは、

丙辰幽室文稿の久坂玄瑞関係の文章また彼の手紙を時系列に取り上げています。

という事で、今日は前回の玄瑞の手紙に対する返書になります。相変わらず厳しい辛辣な指摘をしています。


「久坂玄瑞に復する書」              安政3年7月18日


先に二度目の手紙を頂き、かたじけなく思っています。早速返答いたすところ、遅れたのは、あえて怠った訳ではありません。

足下(貴方)は軽卒で、今まで思慮が充分でなく、僕の言うところの、すぐに憤激し自説を曲げないのが足下です。これは、単に口先だけで治せるものでない。

しかしながら、今は既に月日も充分過ぎ、足下の思いも落ち着いたのではなかろうか。よって試みに一言を述べる。


時宗の挙行は、これを丑寅の年(ペリーの来航時)に実行すべきで、これを今日に施してはいけない。足下が、“施すべし”と考えるのは、時勢を察せず、事機を詳らかにしていないからである。

今の天下は古(いにしえ)の天下と同じである。神功皇后・豊臣秀吉は古に海外進出を行なったのだ、それを古と同じ今、してはいけないのか。


足下が実行してはいけないと言ったのは、大志を棄てて雄略を忘れているから言えるのである。

凡そ英雄豪傑が、事を天下に立て、事蹟を万世に遺すため、

まずその志を大きく持ち、その計略を雄大にし、時勢を察し、事機を詳らかにし、

そして、周囲・時期を考慮に入れ、これらの事を心の内に収め考え、事にあたりおもむろに、柔軟に、外に施すのだ。


今となっては、徳川氏は既に2国と和親したのであるから、こちらから条約を破棄してはいけない。こちらから破棄すれば、自らその信義を失う事になる。


今取れる計略は、国境を画定し条約を厳守する事により2国を束縛し、その隙に乗じて蝦夷を開拓し、琉球を収容し、朝鮮を取り、満州を挫き、支那を圧迫し、インドに臨んで、もってその進出の勢いを盛んにし、また退き守る基礎を固めて、

神功皇后の未だ遂げていない所を遂げ、豊臣秀吉が未だ果たしていない所を果たすに越した事はない。

実際かくの如くであれば、2国は我が国の行なう事に口を挟まず、また我が国は前日の無礼の罪を責めてもいいし、許してもいいのである。どうして小さな時宗にならい使節を斬り、快となすのか。


しかりといえども、これらは幕府の務めであり、諸侯の仕事である。我々輩が勝手にとやかく言う所ではない。我々輩がこれらの事を言えば、空論で中身の無い虚譚(きょたん)になり、慷慨(こいがい・時代を嘆く)を装い、気節(意気と節操)のふりをする者の仕業になる。

聖賢が、言葉を修め誠をたてるものとは大きなへだたりがあるのだ。


足下は一医生であるにも関わらず天下の大計を言う、これは一定不変の天下の道である常倫(じょうりん)に沿っていないのは明らかだ。

それだから、僕は退いてこれらの事を道理に求めようとしたのである。このように前回と重複するが、以上の如くである。


さて、足下は僕の意を察していないので、越権的な外交交渉を想像し、それをするのを咎めたように感じたのだろう。

そうでなく、特に僕が足下に望む事は、“まさにうまくやれば、この外交交渉が成功するのに、足下はその事を知らない。だから足下はあえてその事をせず、いたずらに坐して言葉を連ねるのみ”でないのだ。これ僕の大いに惜しむ所である。


足下の書は、滔々とした千言の言葉で書かれ、また巧みである。しかし一事として自ら実践した結果のものでなく、一語として空言でないものはない。しかも自ら言う「憤激の余り、之を心に発し、これを紙に書す」と。これ即ち、不平不満がたまり、胸迫り心が詰まり、已む事を得ず出した手紙がこの書である。誠に憐れむべきのみ。


今一たび足下の為に、足下が胸を開き、その心を広くし、ことごとくその空言の病を取り除き、これらを自ら実践出来るまでに、させたく思う。

足下、幸いに謹んで、僕の言葉を聞け。


さて、“道”には高低があり、“時”には否・泰(運命がふさがったり・通じたりする事)があり、“位”に尊卑があり、“徳”に大小がある。大徳が尊位であり、小徳が卑位にある時は、時が泰で道が高い。そうでないときは反対になる。

これが天地の常の形であり、古今に通じる勢であり、深く疑うようなものではない。


しかし人間は天地の両間に生まれて、資性、天性は万物と異なるのであるから、人として守るべき道義をもって自分の指針とし、天下後世をもって自分の責任とすべきである。

一身より始め、家に達し、国より天下に達す。一身より子に伝え孫に伝え、曾孫、玄孫に伝え、雲孫、仍孫にまで伝える。達しない所なく、伝わらない所がない。


達する所の広狭は、行動の厚薄を示し、伝たわる久近は、志の浅深を表わす。

心を天地に立て、命を生民に立て往聖を継いで万世を開く。

足下は実によく力をここに注ぎ、日々の生活である食息坐臥(しょくそくざが)、日々の発言行動の語黙動静(ごもくどうせい)、あわただしい時もここを基準とし、とっさのときもこれを実行するならば、

自らの実践を軽んじてはいけない事、又空言をそう簡単に言ってはいけないことを知るであろう。


孟子も言っているのは「人のその言を易くするは、責めなきのみ」と。(人が言葉を軽んずるのは、責任がないからである。)

人いやしくも自ら責め、自ら任ぜば、(責任を持てば)その言を軽んずるような事はしない。しかしそうだと言っても行動を考えず言葉を発する者がおり、孔子・孟子がこれを聞けばその言葉を裁く事になるだろう。


足下はよく責任を持たない言葉を言う、天下には必ずこれを裁く者がいるだろう。


藤寅が復す。


(完)