読み切るのに時間がかかりました。多分誤りなく読めたと思っていますが、もし間違いがあれば、御指摘いただければ幸甚です。


松陰に与えた3通目の手紙です。松陰の、この手紙に対する返事でやり取りが終了したようです。


以下の手紙で玄瑞の理屈を理解出来るでしょうか?

二人の主張がぶつかっていますが、よって立つ所・視座が異なっています。

松陰先生は根本的な所・自分に目を向けておるのですが、玄瑞にはそれがありません。


―――――以下玄瑞の手紙


誠(玄瑞の名)が申す。

昨日土屋氏(松陰の友人)が来、吾が兄の18日付けの手紙を受け取りました。細々とした言葉800言、懇ろに私の“親密な気持ち”を裏切り、必ず僕の為、その胸心を広げんと欲っするが、しかし不肖・私の“惑い”は愈々堅く固まってしまいました。あたわず、一言もなく、これ以上あえて議論を好みません。要はその“惑い”を無くするのみ。


来書に諭し言う。「徳川氏、すでに2外国と和親したのに、我が方からこの条約を破棄するのは、その信義を失う。国境を画定し、条約を厳密に履行する事のよって、2国に勝手な真似をささず、隙に乗じて併せて、支那インド諸国を呑み、遂に神功皇后の未だ遂げざる所を果たし豊臣秀吉の未だ果たさざる所を果たすにしかずなりと。何ぞ必ずしも区々たる・小さな時宗に倣(なら)って使いを斬り、しかる後快となさんや。」と。

これ言うところの、僕の“惑い”也。


近頃、外国人が入り混じり交商すでに行われている、利果たして我にあるか、害果たして我にあるか。それともまた我損じ彼益するか。

交商すでに行われているその中で、“天下の人”曰く、「国家に憂い無しとは、易に曰く『危者はその安にある者なり、亡者はその存を保つ者なり(自ら危ないとして反省警戒する者こそ、安んじ得る者であり、亡びはしないかと反省警戒する者が存立を保つ者である)』と同じである。」と。

最近、天下の心はその安にあり反省していないのではないか、かくの如くであれば、その存立を保ち得るか、かくの如くであれば、大砲兵器何時備えを得るか、士気いつの日に伸を得るか。この様にその安危・存亡は分からないのである。

然るに外国人が来て波濤百里の外にて交商す、我その利するところを見、その損する所を見ない。どうして我れが、無害で有益であると言えようか。


それ、神州・日本の地は豊富・肥澤・金銀米穀・山種海産、一つとして、無い物が無く、外国が求めて無い物が無い。故に古例では“唐船・蘭船の入港を許さず”という事がなかった。

私はかつてアメリカの手紙を見た、曰く「まず、数年あるいは5年10年の間試み、利有るか否か、或は因って売買益無しかをよく知り。しかる後すなわち古例に復すべき也。」と。


そして、現在の交商の利害、上述のごとくである。

私は“天下の人”を諭し曰く「交商益あらず、古例に復すべし。なぜなら彼の外国人は、則ち山を翻し海を倒す程の力を持った者であるから、こちらが交商を止め古例に戻すと言っても、ハイそうですかと言って去るだろうか。必ず口実を作る、口実を作るである。だから則ち我々はその使いを斬るしかないのだ。曲(誤り)は彼にあり、直(正義)は我にある、曲直決すべし。だからどうして自らその信義を失うと言うのか。」と。


又もし、その古例に戻さなければ、即ち邪教必ず我が人の心を感化する。邪教はこれを行なわんとする。それも、交商の際にである。


王陽明が曰く「山中の賊を破るは易く、心中の賊は難し」と。邪教が人の心の中に入って来る、それは即ち耶蘇の害をなくす事が出来ないという事だ。そして神州に衣食すると言えど、神州の言語すと言えども、その心は即ち夷狄も心に変わってしまう。心中の賊これなり。これを破るのは甚だ難し。

古に言葉あり曰く「渭水の流れ寡侵といえど、長江黄河を成す。たいまつの火はかすかな火であるが、集まればよく野夫を照らす。渭水の流れを止めるに即ち一籠の土で以って足りる、たいまつの火即ち一杯の水もって消すに足る。」と。


そして現在では、人々の心には未だ夷狄の心が入っていない、我より交商を絶とうとしても、それだけで、拒むのが充分であろうか(納得するか)。之を絶つには、ただ其の使いを斬るにあり、実行するのみ。


又一方、山中の賊は、吾が兄言うところの支那印度諸州これなり。心中の賊すでに破っておれば、山中の賊破るに何ぞ難からん。


外国の使を斬るならば、“天下の人”があい顧みて曰く、「外国側も行動は測り難し、教訓は言わずや、『臭いにおいあらずんば、即ち青蝿飛ばず。』と。大砲兵器の備えをゆるがせにすれば、士気が伸びるのも止まる。だから天下を一洗し臭いにおいをなくすなり、青蝿何ぞ敢えて飛ばん哉。」と。


ここに於いて、国境を画定し、条約を厳守する事により2国が勝手な動きをしないようにし、その隙に乗じて蝦夷を開拓し、琉球を収容する。また朝鮮を取り、満州を砕けばいい。支那を必ず圧迫し、インドに必ず臨んで、もってその進出の勢いを盛んにし、また退き守る基礎を必ず固めないといけない。

神功皇后の未だ遂げていない所、豊臣秀吉が未だ果たしていない所を、必ず遂げよう。

このように即ち、神功皇后・豊臣秀吉の挙行は他日に施していい。

だけども、端緒を施すべくは、今日北条時宗に非ずして誰なり。どうして区々たる時宗を倣わずというのか。神功皇后・豊臣秀吉の事、急を以ってすべからず、しかし時宗の挙行、決してこれをゆっくりとすべからず。これ天下の大計なり。


天下の大計は僕の責任ある所でないので、これは妄言なり、(私は、よく解っている)

吾が兄、又空論虚譚を以って慷慨を装い気節を装いて言をなしたとして、

でもまた拒まずなりや。(このような事を言って拒まないでしょうか)


伏して願ふ、吾が兄、深く交商の利害と時機緩急を察っせよ。

先の貴報の諭す所、僕大いに惑いしなり。

(私に以上の)説あり、幸いに氷解せん事を。


誠、謹白。


(完)


手紙の冒頭部において、

「懇ろに私の“親密な気持ち”を裏切り」、と訳しました。

原文=反覆懇惻意=懇ろに惻意を反覆し

この場合、惻意=親密な気持ちと訳したのですが

なんだかしっくりしません。

ひょっとすると

惻意は側意で“偏った私の意見”と仮定すれば、

懇ろに側意を反覆し、となり

「懇ろに“偏った私の意見=使いを斬ると言う意見”をひっくり返し」

と訳せます。こちらのほうがしっくりしますが、どうでしょうか?