中国の故事を使い、奇跡が起こっても叶わなかった理不尽を並べ、囚獄の富永有隣をすくおうと松陰はもがいています。

この跋の真意は、富永有隣の手簡の内容が不明なためよく判りませんが、多分こんな意味であろうと想像してみましたが、隔靴掻痒の感を禁じ得ません。


「同囚富永有隣の手簡に跋す」             安政3年6月13日


これは、私の同獄の知己である富永有隣の手簡である。有隣の誠実さはかくの如くであるが、見識のある識者にもまだ認められていない。


天地の間、衛先生の真心が起した太白星(金星)が昴宿(すばる)を蝕した事例とか、荊軻の義が起した白虹が日を貫いたとかの、天が義に感じ起した奇跡でも秦の昭王、燕の太子丹の疑いを解く事ができなかった。(史記・十八史略)


これらは、馬に角が生えれば帰国を許されたと言う太子丹の故事、雄羊が孕めば帰国を許されたという子卿(蘇武)の故事について、例え不可能が可能になったとしても、彼らは帰る事が出来なかったのと同じである。(史記・漢書)


いわんや、楚人の卞和(べんか)が璞(宝石の原石)を献上したが、かえって理解されず脚を切られたし、田光が刺客の秘密を守るため自身の首を刎ねたとしても、荊璞(荊は荊軻のことでなく楚の国の事で意味は、楚の原石)と刺客の為に益があったのだろうか。(韓非子・史記)

(以上の故事に示されたように、誠実さがことごとく裏切られている。この例の如くでなく、有隣の誠実さを意味ある物にして欲しいという松陰の願いが込められている)


手簡とこの跋をあわせ持たせて識者に問う。


丙辰(安政3年)6月13日跋す。


この時私は感じるところがあり、一室にこもり、仕切りで風の通るのを防ぎ、団扇を使わず、肌着も脱がない。(獄中と同じ)


(完)