引き続き「量子進化」齋藤成也 を。


今日は、前回に引き続き生命の誕生に、量子の考えかたを導入した著者の説明を批判します。


まずその前提の、生命の誕生は著者のよると、

1、自己複製可能なペプチドの自然合成が生命体誕生のスタートである。

2、このペプチドが出来上がれば、あとはダーウィンの自然淘汰・進化が引き受けてくれ人間までにいたる。

3、このペプチドはアミノ酸32個から出来上がっているもので、その組み合わせの数たるや天文学的数になり、自然世界で合成出来る可能性は理論的には0に等しい。だから困っている。

だから、量子状態のアミノ酸を用意し、量子コンピュータよろしく並列処理させようと考えたのでした。



そこで現実世界での問題は、量子状態という状態が何時までもその量子状態でおれない、つまりすぐに・瞬時に量子状態が壊れて別の量子状態になってしまうのです。

違った量子状態は元の木阿弥になるということです。


つぎに、量子的処理に関して、

量子状態のおいて、何らかの作為的な量子的処理をしなければ、なにもしないのと同じで結果は変わりません。量子の考え方を導入する理由がなくなるのです。

量子コンピュータでは量子状態を維持したまま適当な・目的のある処理をして量子測定をします。量子測定は量子状態を壊す事と同じなのですが、この時点で結果が得られるということなのです。この適当なある目的を持った処理を(例えばあるビット・キュービットをある角度回転させるとか)を見つけるのが量子コンピュータ技師の仕事になり、現時点では暗号解読のためのFFTアルゴリズムが見つけられていると聞いていますし、最近の量子情報処理の領域で盛んに研究されています。

このように量子的処理(量子アルゴリズム)は重要な事で、2番目の問題として、このペプチドが出来るために必要となるのですが、それはどうなんでしょうかと言う事です。


以上の2件に対し明確な回答がなければ、だめなんじゃないかと、素人ながら感じるわかで、


著者の答えはまず、量子状態の維持に関して、

量子コーヒーレンスを保存する一つの方法は、量子系を小さく分離された状態に保つ事だ。デルフト工科大学のシーズ・デッカーらは、超微細炭素毛細管(カーボンナノチューブ)の中の電子がチューブの長さ全体にわたって量子コーヒーレントのままである事を示した。実は、これは絶対零度に近い温度において得られた

高温化での量子現象は、風変わりな物質に限られたものでない。この世でもっとも幅広く用いられる化学物質のひとつであるベンゼンの尋常でない反応性は、・・・・

と事例をたくさん挙げています。これに対して、私は真偽の確認は出来ませんが、多分原子の中の電子は量子状態になっていると考えられますので、了とします。


そして著者は「たとえば、岩の穴の中や、化学的の生じた油またはタンパク質の小滴の中などである。」このなかでアミノ酸結合の量子的並列処理がおこなわれるという説とっています。

可能性としては排除できません。


次の問題、量子的並列処理がどのようにおこなわれ、量子測定が何時行なわれるのかと言う問題に移ります。

結論から言いますと、特別な量子的並列処理は行なわれません。自然の中での現象ですから、特別なビット処理は考えられないのです。ですから量子的な説明はここでは不要です。古典的説明で充分なのです。ただ、同時処理を想定していますので、処理スピードは上がります。量子的並列処理ですから、いかに天文学的数でも短い時間で可能であるということでしょうか。


つぎに量子測定が何時行なわれるのかについては、著者は量子的並列処理の区切りを考えています。

デコーヒーレンスは量子系が複雑な環境に不可逆的に結合されたときにおこったのであろう。周囲環境と最も効率的に結合する分子は酵素だ。」

伸長する量子ペプチド鎖が自己複製できる原始酵素にであったとき、それは必然的かつ不可逆的に自身の状態を古典領域に増幅するであろう

といいます。デコーヒーレンスは量子状態の破壊ですから量子的並列処理の区切りとなります。

つまり、適当に量子的並列処理の結果出来上がったペプチドが自己複製の可能な酵素になったとき、量子的状態から古典的状態に変わるのです。

でも、量子的並列処理停止の理由は、著者も説明をしていませんので、よくわかりません。“・・であろう”と言うだけです。周囲環境と最も効率的に結合する分子は酵素だ。と言うだけです。本当でしょうか、眉唾もんだと考えます。


最後に、出来上がった多くのペプチド鎖の内の目的の一つのペプチド鎖はどのように選ばれたのかという一番大事なポイントですが、

それを、多宇宙解釈・多世界解釈 で解釈します。

つまり事象が起こるたびに新しい世界が生まれてくるという“とんでも的”な解釈です。


都合のいい世界を選べるのです、なぜなら自分が今この世界にいるのだからという理屈です。

出来上がった天文学的数のペプチド鎖は、天文学的数の世界に同時に存在するのです。その天文学的数の一つの世界が今我々が存在している世界なのです。従って我々の存在していない世界も“マン”とあるわけです。


このあたりの説明は噴飯もので、著者自身も忸怩たるものを感じられたのでしょう

われわれは人間量子版の生命の起源が証拠と適合する事をしぶしぶ受け入れなければならない。しかし、その必然性および事実との一致にもかかわらず、私にはまだ人間量子版の生命起源が納得できない。これは正直なところ、ほとんど利己的な理由によるものだ。」と。著者も納得していません。


もう少し“まとも”で、納得のいく説明が欲しいものです。


このあとこの本は、量子細胞、量子進化、心と物質と続きます。楽しみにしてください。さらにどの様な説が出てくるのでしょうか?