今日のブログは引き続き

「量子進化」ジョンジョー・マクファデン 共立出版

からの量子細胞について。


前回は“生命の誕生”でした。今回からは“量子細胞”、“量子進化”、“心と物質”と続きます。


量子細胞で著者が言いたかった事は、生細胞のなかで起こっている量子効果がどういうものなのかと言う事。

その結果を、次回の量子進化につなげています。


では始めます。

著者は、「量子的世界と古典的世界との間に境界線があるに違いないのだ。・・・筋肉細胞は同時に収縮と弛緩を行なう事はできない。血液細胞は同時に二つの血管を流れる事はできない。その境界線は、電子や陽子のレベルよりは上にあるに違いないのだが、細胞レベルよりは下である。とすれば、どこにあるのだろう

と、量子的世界と古典的世界の境界線を求めます。

古典的世界では存在は1点に決まっているが、量子的世界では同時に異なる場所で存在できる。量子的世界は不思議な常識を越えた世界なのです。


私はそのような境界線など無いと思っているのですが、著者はそう考えてはいないようです。そしてその境界を、

デコーヒーレンス時間の見積りによって、量子的世界と古典的世界とのあいだにおおまかな境界を引くことはできる」とし、コーヒレンスが壊れるか壊れないかを問題としています。コーヒレンスが壊れると量子的世界から古典的世界に移行するよう考えています。

私はどちらも量子的世界であり、この現実の世界も量子的世界であると考えています。


著者はその境界を以下のようにしてもとめました。

まず、β―ガラクトシターゼとよばれる酵素分子の一部をなす陽子にターゲットを絞ります。

このβ―ガラクトシターゼはタンパク質なのですが、ラクトースを加水分解しグルコースとガラクトースにする触媒・酵素の役割を持っているようです。この分解でエネルギーが得られるのです。


そこで、β―ガラクトシターゼとよばれる酵素分子の一部をなす陽子は

この陽子(水素原子の原子核)は、アミノ酸の酸素原子に共有結合によってくっついている」のですが「その近くには窒素原子が存在し・・標的の陽子を捉えようとしている」らしいのです。

著者はこの標的の陽子が、酸素原子に引っ付いているか、それとも窒素原子に引っ付いているかと言う古典的世界の存在物でなく、酸素原子にも窒素原子にも引っ付いているという量子的世界の重ね合わせ状態であるというのです。

我々の標的陽子が、測定されるまでは量子の重ね合わせ状態に存在するという、量子的な粒子であることは全く明らかだ。」そして

標的陽子が複雑な環境と相互作用してデコヒーレンスをもたらすことによって」重ね合わせ状態から古典的世界へと移行すると考えています。


次が著者の主張のポイントになるのですが、

この複雑な環境と相互作用とはどう言う事かというと。このβ―ガラクトシターゼとよばれる酵素分子の一部をなす陽子が、正常な位置として、酸素の近くにいないと酵素機能が働かないということから

この陽子は酵素活性にとって特に重要である。と言うのも、ラクトース分子の中心にこの陽子を発射して、化学結合を不安定化することによってラクトースの分解が開始されるからである。もし、この陽子が近くの窒素原子のほうに行ってしまったとしたら、それを基質に発射することができないために酵素ははたらかない。そこで、この酵素は基質となるラクトースがあるときには、自身の陽子の位置を測定することができるのだ


ということで、この複雑な環境と相互作用とは、

ラクトースが存在して、それを分解できた場合自身の陽子の位置を測定することができる、これによりデコヒーレンスをもたらすことによって重ね合わせ状態から古典的世界へと移行すると考えています。


これが量子細胞であって「この量子細胞は、量子的状態と古典的状態の動的モザイクとして表わされる。粒子はもはや独立した存在ではなく、内部量子測定の生成物として考える必要がある。」ということです。

周囲状態(ラクトースの存在)とそれに及ぼす自分自身の活動(酵素機能)によって内部量子測定(ラクトースを加水分解という事実)を行なっているのが量子細胞なのです。



このように、細胞内活動を量子的に見る、

“細胞内の重ね合わせ状態から、内部量子測定により位置が確定された状態に変化・移行すると言う事”

を考慮にいれなさいと言う事です。


さらにこの考えで、著者は量子進化を敷衍して行きます。

私には、著者の言う内部量子測定が事実かどうか判断できませんが、納得は出来ます。


以上。