「量子進化」 ジョンジョー・マクファデン著         共立出版

を今日で終了します。


このブログを読んで下さった方には分かっていただけると思うのですが、

細胞内での量子現象を説明するのがいかに難しいか、

その量子現象の重ね合わせが細胞内で何時起こり、何時終了し、どの様な形で現実に現れてくるのか、それらをどの様に実証できるのか。


また、この現実と思われている自然は、よく考えると量子的世界、古典的世界などと分けられるものではない事は、誰だって納得出来るはずですが、そうでないのは、

細かく観察していくと、量子現象が現われ、不思議な違和感が起こり、別世界があるのじゃないかとの錯覚、誤認が起こるからなのです。


ですから、偉そうに私が言う事でもないのでしょうが、

自然現象を把握する場合には、必ず量子世界の現象が隠れているという現実を理解して把握しないといけないのでしょう。


ということで、今日は“心と物質”について著者の考えを批判して行きます。


先ずは問題点、どの本でも言われている問題点、著者は

われわれは随意活動を意識的に意図してやっていると思っているが、意識のような無形のものがどうやって筋肉を動かせるのだろうか?

心はどうやって物質を動かすのだろうか?

という問いから入ります。


また、意識について「おそらく、ほとんどの人は私と同様に、自分の意識にある自由意志の役割を否定したくないにちがいない。われわれはみんな、頭の中には思考があり、そこには我々の行動に対する意志の力があると強く感じている。」しかし、

カリフォルニア大学の神経生物学者ベンジャミン・リベットが行なった実験は、この信念に大きく異議を唱えるものだ。

ということで、かの有名な実験結果が報告されます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97


脳神経活動を観察すれば、意識として感じる前にすでに神経活動が始まっているのが発見されたという物です。それじゃ自由意志とは何かという事になるのですが、著者のこの点の理解はリベット博士の理解を踏襲しています。

これらは、本筋とは関係ありませんが、色々と書かれています。

しかし、これやそれやの不可思議な現象が、無意識、意識、認識に現れてくるので、著者は結論として、「つまり、意識とは量子力学的現象だ、というのだ。」と言います。


で、

量子力学的現象と結論付ければ必ず出てくるのが、ロジャー・ペンリーズ博士の“波動関数の収縮”説です。その他“脳内のニューロンのボーズ・アインシュタイン凝縮物”説、意識を量子測定における収縮作用因とする説、

はては、「脳に量子力学を持ち込むことによって、脳も実は量子コンピュータなのではないか」と言います。


でも著者も現実をよく理解されており、例えばペンローズ博士の説で言われるニューロン内の微小管について、「私はまだ神経計算の役割をするという考えに納得していない。それは、量子コーヒーレンスを維持できるほど十分に分離されているようにも、安定しているようにも見えないからだ。・・・・量子コーヒーレンスを維持することは、神経生物学的に言って水の上を歩く事に等しい。

と言われます。


かなり手厳しいですが、ご本人の主張される、“量子進化”、“生命の誕生”における量子コーヒーレンスの維持は本当に大丈夫なのでしょうか、老婆心ながら心配します。


で、

最終的な著者の意識の解答は「それは電磁場である」なのです。その根拠に

ニューロンの活動は電気的現象であること、

電磁波は光と同じく量子現象をおこす、

と言う事。


また、哲学者カール・ポッパーの提案に「私自身の意識の主観的な経験と強く共鳴する。思考やアイデアを、脳を流れる波の満ち引きとして表わしているところが、どのニューロン発火モデルよりもずーとよく私の意識の状態を説明しているように思われる。

と、ポッパーの説を踏んでいます。


それで、次は具体的に「全ての電気作用は無線送信機のように電磁場を誘導し、誘導された場は無線受信機のようにその電気作用を変える。脳内のニューロン電気作用は電磁場を誘導し、この場は変えなければならない。それが発火パターンを変えるかどうかはもっと難しい問題であり、

と困難さを指摘されていますが、脳活動が電磁場を誘導し、その電磁場が脳活動に影響を与える。

これがどうして意識と関係があるのでしょいうか。一度脳活動が電磁場に移行し、また電磁場が脳活動に影響を与える、と別の媒体に移ったからでしょうか。


そのことはともかく、そのメカニズムはどの様になっているかというと、

私の思考のほとんどは言葉と画像でできているようだが、電磁場はこの種の視覚情報や聴覚情報をいつも空間を通じてテレビ画面に伝達している。受信機がその波動を拾い上げると、その波動は電気作用に変換されて、画面に音声や画像を生じる。

これと同様に、我々の脳も意識的な思考の電磁場内にある聴覚情報や視覚情報を拾いあげる受信機かもしれない。

と、TV伝送のイメージを持たれています。そしてこの考えが正しいかどうかの判断を次の方法でできると、豪語されています。

しかし、その証拠はあるのだろうか、この考えはどうも不自然に聞こえるかもしれないが、これが必要とするのは、次の命題が真であることだけである。

一番目は、われわれの脳がニューロンのかなりの部分を囲む電磁場を生じる事。

二番目は、われわれの意識が脳の電磁場の産物であること、

そして三番目は、脳の意識的電磁場がニューロン発火に影響する事である。

もし、このそれぞれが真である事が示されれば、意識的電磁場は必然的なものになる。幸運なことに、これらはすべてテストできる。

以上です。


この後これらの三つの命題について説明が書かれていますが、ポイントをはぐらかした、笑止千万の論となっています。書くと長いので、興味ある方は原本を読んで頂きたいのですが、少し例を。三番目の例です。

脳全体の電磁場の勾配はこれよりずっと小さいため、全体的な電磁場自体はニューロンを休止状態から発火させるには不十分だ。しかしニューロンがかなりの範囲の興奮性を示す事は、以前から神経生理学者には知られていた。したがって

発火に必要な閾値電位に近いところで変動するニューロンもたくさんあるだろう、

時には、細胞膜の電位差を強めてニューロン発火を刺激するだろう、

また別の場合には、電磁場はその電位差を弱めて発火を抑えるだろう。

と。


この場合確かに、脳神経活動が電気的現象であり、電場、磁場を発生させると言うのは間違いがありませんが、

だからと言って、その電磁場が意識であるとどうして言えるのか。電磁場の働きで、我々は痛いと感じるのか、目で赤いリンゴがみえるのか。それとも電磁場が痛いと感じるのか。


また、電磁場が脳内神経活動に影響を及ぼす事が出来る可能性があるからといって、目で物が見えるとは言いすぎです。テレビでもそうではありませんから。及ぼすだけでは無いのです。


テレビの放送信号を拾って、映像、音声を復調するには、それなりの筋のとおった電子技術が必要で、適当に信号を拾い上げるだけでは、何もできません。それはノイズとよばれます。これは百害あって一利無しです。

ただ、特別な場合、ノイズ等は感度を上げる機能を持たせられる事は可能です。でもそれが意識と関係あるか分かりません。

なにせ、“三つの命題が真であればOKである”という主張をされるなら、電子の知識を持った人であればすぐに出鱈目を言っていると感じます。


さらに面白い言葉があります

電磁場を生じるテレビには何故意識がないのだろうか?

その答えは、そもそもこれらの電磁場に本当に意識があるのかないのかをしる方法がない、というものだ。意識がある事を示せるのは、意識を伝達出来るものだけだ。」です。

“盗人猛々しい”とはこのことでしょうか。笑ってしまいます。



意識で一番大事で、最小限必要なのは、“物体の集まりである脳の働きで、どうして痛いと感じる事が出来る私が存在するのか”の説明が必要なのです。


私が思うに、電磁場でその説明はできません、同じく“波動関数の収縮”説、“脳内のニューロンのボーズ・アインシュタイン凝縮物”説でも出来ません。

なぜなら、なにも説明していないのですから。