又記す


私は、有隣と以前、この事について論じた事があり、その事は既に文に著した。最近また賈誼(かぎ)の策を読んだ。その中に言あり、曰く「古は、大臣が不廉(ふれん・いさぎよくない・不正)な事件に坐して廃せられる者があれば、不廉と言わず祭器が整っていないと婉曲に言う。また、汚穢(おわい・けがれて)で淫乱にして、男女が別なく坐する者は、汚穢と言わず帷薄修せず(いはくしゅうせず・婦人の部屋の仕切りが乱れている・男女関係が乱れていると婉曲的に言う)と言う。罷軟(ひなん・弱弱しく仕事の能力がない)にして任に堪えざるに坐する者(大臣が任に堪えられないのを)を、罷軟と言わず、下官不職(下役人で仕事ができない)と婉曲に言う。

このように、大臣を尊び、罪があっても、はっきりと罪を正しく言わない。きっちり、その通りにするのを避けるのである。」と。

これは多分、古今のよくない官吏が使う、口先だけの表を隠す隠語のような物である。


そうと言っても、賈誼のもとより言いたかった事は、「その罪が必ずあるのだから、事実をまげ曖昧にしているのではない。ただきっちり、はっきりと、正しく言わないだけである。全くその罪状をなくして、隠してしまうのではない。どうして、後世にまで隠しておく罪などあろうか。」と。


臧文仲(ぞうぶんちゅう・魯の宰相)が言う「刑罰は五種だけ。隠れたものなどなく、それはよくないことだ。」と。そして賈誼の考えている処は、大臣を尊ぶゆえ、縄で捉え、鞭を打つべからず、と言うのみである。


一切の士と民は、どうして皆この様になる事が出来るであろうか。(出来ないし、有隣もこの様な扱いを受けない。)


有隣は今、まだ獄から抜け出ない。私は彼が出てくるのを待って、再度この事を論じたく思う。故に録す。  12月朔(1日)


(完)


賈誼:http://baike.baidu.com/view/19256.htm

臧文仲(ぞうぶんちゅう・魯の宰相)