相変わらず、「量子が変える情報の宇宙」です。
確率の続き、
私も前々から感じていたんですが、
「1回しか起こらず再現不可能な出来事に確率を割当てるというのは、どういう意味なのだろうか?」
と言う事です。
「天気予報士が「今日午後の降水確率は30%です」と言った。しかし、今日の午後は1回しかやってこない。雨が降る回数を数えるために、今日の午後を100回繰り返す事が出来ない。」
「妻が台所から私を呼んだ「このステーキ、ちょっと色が悪いの。大丈夫かしら?」「大丈夫だろう。食べてみよう」。私は100%確信したわけではないが、大丈夫である確率を定量化して充分だと判断した。しかし、その意見を確信するために、全く同じステーキを100枚見つけられるなどとは思っていない。」
その他
「天文学者のチームが新惑星を報告した「データに対する我々の解釈は、85%正しいと信じている」」とか、
「ある経済学者が発表した「次の4半期に経済が好転する確率は高い」
などです。
そして、著者は、偉大な経済学者ケインズの言葉を借りて「『確率』と言う言葉の持つ意味、すまわち、ある特定の主張が正しいという確率を決定する方法を、理解可能な形で説明するのは、困難なことである」と、難しさを強調しています。
これらの確率は、さいころの出る目の確率が6分の1とは、異なると言う事です。
そこで、著者は
「この価は、独断ではなく合理的な論証によって割り振られるものだが、多くの場合には単に根拠に基づく推測でしかない」としますが、
「頻度を数える事にでも確率を正しく定義できる」とか
「実際上困難に突き当たるような場合でも」うまくいけば「成功裏に確率を定義できることである」
と、擁護します。
頻度を数え正しく定義できる例とは、多分降水確率などが相当するのでしょう。
それらをベイズの定理と絡めて説明をされていますが、うまくいけばの前提での話です。
前回のディスレリーの言葉じゃありませんが、私はそのような簡単なものではないと思っています。
たとえば、最近の地震の発生確率ですが、
“3~4年以内にM7級の地震で、首都圏での発生確率が70%程度”
という報道を聞いた事がありますが、
統計的な手法を使ったのでしょうが、どのような定義の確率なのか、説明していませんでした。
ただ、単なる警告を強調したいがためなのか?
聞くほうも、予測だから間違ってもそんなに気にしない?
言ってる人も、責任がないから気楽に言ってる?
私も、話として、地震発生を否定するものではないのですが、数字を加えての説明であれば、その数量的根拠が必要なのは言うまでもありません。
2CHとはちがう、公共の放送ですから、なんらかのコメントが欲しく思われました。
100%とは何なのか、くらい。
でも、
ひょっとすれば、私の情報収集能力が貧弱で、この様な知識は常識的な知識であるかもしれません。ただ、私だけが知らなかったりとか、
どうなんでしょうかね。