いつも、量子力学で話が出てくる“シュレーディンガーの猫”


「量子が変える情報の宇宙」の著者バイヤーも、一般向けするこの話を取り上げています。


普通の飼い猫を、窓のない防音の箱に入れる。その箱の隅には、まだ崩壊していない状態の放射性核種を置き、そのそばにガイガーカウンターを設置して、放射性崩壊が起こったらそれを検知出来るようにする。そのガイガーカウンターの出力信号は、猫が即座に安楽死するような毒ガスの瓶を開ける電気的仕掛けにつなげられる。そして箱の蓋を閉め、そのまま待つ。」と。


それで、ご存知の通り

もし箱の中の原子核が同時に「崩壊している、かつ崩壊していない」としたら、猫もそれにあわせて「死んでいる、かつ生きている」事になる。」のです。

箱を開けるまでは、その中身は、普通の日常生活では見られない中間的な状態にある」のですから。


この問題に対し多くの科学者が、

何年にもわたって無数の独創的な解決法が提唱されたが、いずれも議論に終止符を打てるほど納得のいくものではなかった。」と言います。


そしてさらに、著者は

この問題点は、全てが心の中に存在することだ。」とあおっています。

“見ること・心・意識”が猫の生死を決めるというのです。


言葉を変えると、量子の重ね合わせ状態が、人間の“見ること・心・意識”だけにより、なくなる・崩れると言っています。


でも多分、問題点の全てが心の中に存在しているなど考える科学者はほとんどいないのではないか。“見れば”量子の重ね合わせがなくなるのではなく、“計測・測定すれば”なくなると。


その証拠に、著者も言います

測定と言う物は、人間による介入であれ、機械的な介入であれ、ある意味創造的な行為と見なさなければならない。測定前は可能性を示した情報が存在する。そして、測定後には、以前には存在しながった明確で特定の1ビットの情報が作り出される」と。


少し説明しますと、

機械的測定(人間の測定であっても機械が必要)が、情報の重ね合わせ状態のキュビットから特定の明確なビットに変わる。

機械的測定=量子が物体と相互作用する場合、量子の重ね合わせ状態が崩れる・なくなるというのです。


すると、シュレーディンガーの猫はガイガーカウンターが反応した時点で死んでおり、人の関与は不要と言う事になります。


こういう風に、著者も分かっていながら、

“不思議だとか、いずれも議論に終止符を打てるほど納得のいくものではなかった、”

と言うのは、一般の読者に興味を持たせようとする、パーフォーマンスなのでしょう。


“シュレーディンガーの猫問題”は問題ではないのです。