中谷正亮の亡父に対する弔辞です。


「中谷正亮に与えて喪を弔する書」             安政3年7月7日


以前、尊亡父が長く床に就かれて居たのを僕は聞き、気が気でなく、書を呈して起居をお伺いしようと思っていました。

しかし、私は幽囚の身、意のままに事を行なえない。そして思った事は、ご尊父は平素からかくしゃくとされていたし、今ご病気であっても、そう心配するに及ばないかも知れないと。

さらに数年の後においては、僕の厳しいお咎めも緩められるかもしれないので、その時、行動が今より自由になるかもしれないと。


以上のように、時間に余裕があると思っていたが、はからずも、にわかに世を棄てられ、あの世に行かれ、この世から離れられたとは。

私は、驚き、落ち着いた後に泣き、泣き止んで更に恨みました。


僕はご尊父に愛せらるる事深く、足下と交わりを結ぶ事大変密である。今にわかに、ご尊父の死を聞く、いかに私が幽囚の身であっても、一言の弔意がなくていいものか。ここにおいて断然と弔意を草し、加えて、喪の節度を保つ(困難な喪に節度をつける)と言う事にまで書き及びます。願わくば、よろしくこの事をお察しください。


さて、3年の喪は、漢土・中国のおける古の聖人が行なう通例の喪である。しかし、我が国の大宝令に従えば、父母の喪は三ヶ月のみ。最近では、50日を期としている。これは、中国の喪を年から月に変えたと言う物と大差ない。これは、孝行息子にとっては痛恨の恨みとなる物である。しかれども、我が国の国制、時代の慣例は大義であり、違えてはいけない。すなわち孝行息子にとって、やむをえざるの情は、ただ心を制し、哀慕の気持ちを持つことである。礼記に曰く「喪に居て、未だ葬らざる時は、葬礼を読み、既に葬らば、祭礼を読む」と。


さて、喪に居て親を思うのは、もとより人の子の本心である。しかし礼の教えと言う支えが無くなれば、期日が長く過ぎれば、物欲も起こってくるし、またこれが本心を覆う、これは常なる情けである。ここをもって喪の居ることは、必ず礼を読む。いやしくも礼を読めば、本心を保ち、物欲を滅することが出来る。


ご尊父は長寿で、徳行が隆盛であり、言行は卓越し、後世に伝えれば人の利益になる物が多い。足下は喪に居り、悲しみの納まった時に、家庭の遺訓を追憶し、往時の定省(ていせい・朝夕親に仕える事)を回顧し、その大事な処、そうでない処を尋ね究め、その源と末を思索し、集録し本とし、毎日これを見る事は、礼を読むのと同じような意味がある。そして、その文稿が流れて僕輩に至るならば、僕輩の前恨を少しは晴らしてくれるであろう。


そこで、山鹿素行の枕塊記二冊を付け贈ります。時を見つけ一読し、その心使いを見られよ。

書くに臨み涙を振るい、万々尽くさず。


(完)

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991320/218

(枕塊記・山鹿素行が父の服喪中に作った)