治心気斎先生とは山田宇右衛門の号で、松陰幼少時の後見人。吉田大助門下。松陰の教育に最も力をつくす。


「治心気斎先生に与ふる書」                安政3年7月13日


先日、我が兄伯教(杉梅太郎)に依頼され、拙書“講孟箚記”を見たいと希望されました。この感激は何物にも代えられません。

僕は年少の時、先生の門下として親しく教えを受け、片言隻句に至るまで、先生の教えを正しく受け取り、また先生も全てを与えてくださいました。


5,6年来、ある事により、友を持たずわび住まいをしています。ですから日々いろんな人と、意見を交わす事がかないませんし、徳のある人をお慕いすること、常に飢渇している状況です。

この様な時に、ご依頼を受けました事、どうして感激を止める事が出来ましょうか。


賎著の内容は、僕の思いを心から取り出し、これを皆に語り、そしてそれを記録したものです。ですから、初めより深い考察のもと完成されたものでないので、内容の是非について云々する物でありません。


しかしながら、密かに思っていますのは、これらは皆理の当然を、勢いのおもむくまま書いていますので、決して高奇に走らず、卑猥にも陥っていません。ですから、あえてこれが義であると誇ったり、内容が醜悪であると謙遜したりはしません。

僕のこの本に対するし姿勢は以上のようなものです。


また、かつてこの著を人に見せたところ、ある人は是とするが、他の人は非としました。でもこの一非一是は、僕の心に合致しない・納得できないところがあるのです。


そこで、伏してお願いするのですが、先生がこの著を読み、道を益するか道を害するかの判断を頂きたいのです。

もし道を益するのであれば、後世に伝えるべきであるし、道を害するものであれば、絶つべきであると。


詩に曰く「他人に心ある、我これを忖度する」と(詩経・小雅)。

ああ、僕のこの5,6年来の心中、幸いにも忖度していただき、そして心中から出た著の是非を判断していただけるならば、僕は誠に盛膳美飲といわれるような望外の喜びを得た以上の感があります。そして賎著の伝承・止絶も決まるでしょう。


不宣。


(完)