良三とは来原良蔵の事、一歳年上の友人。松陰が東北遊時脱藩した時、色々と世話になる。

今回は富永有隣の免獄に対し、正当な判断をするように依頼しています。


「良三に与ふ」                      安政3年7月22日


以前、富永有隣の免獄を論じたことがあったが、大変粗末であった。自ら考えても、残念な事である。そのような時、たまたま相模から手紙を受け取った。そこでの論が、富永に及んでいるので、足下に転送します。


さて、“偏った情報はよくない事を生む”、とは古人のいさめる処である。そこで冨永の説は、もともと全てを信じてはいけない。また、反対に羽仁彦兵衛の免獄反対の訴えも安易に聞いてはいけない。全てを並べ判断するのが足下の責任である。

彦兵衛が、富永を虎狼のように恐れるのは、ただ彼が狂暴であるというだけでなく、たぶんそのほかに、何か恐れる理由があると思われる。

そうでなければ、彦兵衛一人が彼を恐れるのであり、その他の親戚とか古い知り合いなどは恐れていないのであるから、そのような状況を察するべきである。


論語にある、痛切な膚受の訴え(顔淵篇・膚を傷つけられたほどの訴え)は、孔子でさえ、その訴えにまどわされないよう判断するのが困難であるのに、どうして今の俗役人が適切な判断ができようか。


足下は、この事実を明らかにしなければいけない。


七月念二日、寅申す。


(完)