僧清狂は海防僧とよばれた攘夷派の僧・月性、松陰より13歳年上。漢詩「男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈期墳墓地 人間到処有青山」で有名。

西郷隆盛と入水した月照とは別人。


「浄土真宗清狂師の本山に応徴するを送る序」         安政3年7月24日


浄土真宗の清狂師は、気性が激しく義を好み、天下問題を自分の務めとし、地方を行脚し仏法で以って激励する。村里の多くが彼に信従して、実に多くの信徒がいる。聞くところによると、彼ら信徒は、日本国を尊び、外国・夷狄を憎み、内・家においては孝に、外・村においては義に篤く、禍福を恐れず、生死を顧みない。以上のような者は、身分の低い者から婦女に至るまで、師に従い靡いていると。この事実は藩役所にまで知れれている。役所は、議して、領内において広く師にその仏法を説かしめた。その結果領内において変化が現れたのである。

今年、丙辰8月に、本山は特別に師を招いた。思うに、宗門における彼の功績が大きく、そしてこれを天下に広げようと思ったからであろう。


しかし、世の中には融通のきかない儒者もいる。師の言動を止めようとして言う「凡そ僧尼が兵書を修讀したり、国家の事を語る事を禁じていることが、大宝令に明文化されている。今の清狂の行動は、この禁令を犯すものである。そして国法に照らせば死刑に相当する。」と。


私が思うには、そうでないのだ。令が禁じているのは、禅宗と律宗のことである。今の師は浄土真宗であり、浄土真宗は君父があり妻子が居る。いわゆる世捨て人(禅とか律の僧)と同じではない。またさらに、近世においては、武家が(朝廷・令に代わり)僧尼を管理しておりまた、仏教の宗門制度でもってキリスト教を排斥しているのに。

このように考えると、師のしている事は、もともと彼の職でもあったのである。そして士農工商と僧尼とは、等しく朝廷の臣下であり、臣下が国事を勤めるには、各々の、その持っている力が耐えられるかを見て、耐えられるのであれば、勤めていいのである。


今の現下、国境に問題が多くあるが、幕府にその対策がない。このような状況のもと朝廷の臣下である者は、火事を救い、溺れる事を助けるのにいとまが無いとでも言うのか。火事を起した家は、常識で判断せず、すぐの対応がいるのだ。また、兄嫁が溺れまさに沈もうとしている時に、これを救うために手を差しのべるのを誰も咎めないであろう。

しかも、融通のきかない儒者は、心を失ったのか、非常時の状況を知らず、かえって師が罪を持っているとする。まことに憐れむべき者であるよ。


しかし、この儒者の論も、それなりの理屈があるので、その点は察しないといけない。

恭しく思いみるに、天祖である天照大神が始めて国を統治され、天孫がその後を継承されて、神武天皇に至り、この神州・日本国の基礎が確立された。

至治、つまり天下よく治まること1700~800年に及び、その後時勢が始めて変わり、天下は大いに乱れた。400余年の後、いくさが始めて治まり、天下に事なきこと200余年である。

前の1700~800年は、小乱が無くもないが、概して天下がよく治まると言うのは、朝廷が治めていたからである。後の600余年は大治(至治より治まりが悪い)であるけれど、至治と言えないのは、朝廷が治めていないからである。


有志の士はここに感じるところがある。それは朝廷の権威を修復し、至治となるようにすることである。

しかしながら、その計画はたけてなく、長年累積した事物のきざしも現われず、時機も詳らかにせず、時勢を察せず、甚だしきは、朝廷をして、(孟子・離婁上にある)国の大臣に罪を得させるまでにする。(孟子は、国の柱である大臣が罪を得てははならない、大臣は朝廷を慕うから、と説く)此処において、世にへつらうの論、民を罪におとしいれる説、仁義を充塞して、(易経にあるように)“確乎としてそれ抜くべからざる”ものである。これがいわゆる融通のきかない儒者の口実になっているところである。


私は少し退いて、治乱のわけを考えるに、“まず天下の事については、一言で断ずるべきである”と信じた。それは孟子・離婁上に言う「人々はその親を親とし、その長を長とするならば、天下は平らかである」と。この理由から朝廷がまつりごとを失ったその罪は摂関の将軍にある。将軍がまつりごとを行なうその罪は官属にある。将軍がまつりごとを盗んだその罪は臣僕にある。どうしてかと言うと、官属・臣僕は正しく将軍を諌めなければいけないのに、そうせずかえって逆を進めたからである。この事で今の世を見れば、今の天下の貴賎尊卑、智愚賢不肖の者は、全て道を失った罪のある人である。


実際、人々にその道を守るようにさせ、そしてその罪から遠ざけるようにすれば、君子である者は臣下を戒め、臣下の者はその君を諌め、長である者はその属臣をいましめ、属臣はその長をただし、父である者はその子を教え、子である者はその父を勧め、智者は愚者をさとし、賢者は不肖を導き、計画はたけ、累積は現われ、上は摂関、将軍より、下は農工商に至るまで、天下が平らかになる。


興隆の機とか、快復の勢いは盛大なことであるから、誰がこの勢いを防ぐ事ができようか。であるから、将門、義仲という逆賊も芽をふかず、清盛、頼朝も実に忠勲に励もうとしたのである。この事を、天下が定まったと言うのである。


以上の事に努めずして、軽挙妄動し、行き詰まってしまう者、私が寒心に堪えない理由である。私がこの見解を持ってから久しいが、いまだにこれを実際の行動にあらわした事が無い。これを実行出来る人を見つけ、そのようにしようと思っているが、幽囚の身、思うようにいかない。


ただ、一人清狂の師は真宗の功で、まず村民を化し、その後領内に及び、そしてまさに天下に施さんとしている。私は彼の功績を喜ぶ。彼がまさに行かんとするにおよんで、序を求められた。書して贈りとする。


(完)