今日のブログは

「脳はいかにして心を創るのか」の第5章「感情と志向的行動」について読んでいきます。


前章は、脳内の物理的・カオス現象的説明が中心でしたが、

今回は脳機能の志向性を前回のカオス現象を拡大解釈し、説明しています。



まず導入は、行動の解釈、情動の説明、志向性、知覚等のラフ説明。


そのなかで、「情動からの行動」と「理性による行動」について

理性的行動とは、「社会基準に合致し、考え深く生産的な行動」のことで、

情動的行動とは、「われわれが先見の明と呼んでいるところの前もっての論理的分析を欠き、自分自身と社会の他のメンバーに望ましくない損害を与える行動」のことです。考えなく行動してしまう行動。


私の考えでは上の二種類の行動は、そのいずれもが個人の内部から創発し、短期的あるいは長期的なゴールに向けられているという点において情動的であると同時に志向的ですが、それらの相違点も明白です。この違いを生み出す生物学的基盤が脳の自己組織性です。自己組織性によって行動を引き起こすカオスが制約を受け、それと同時に、脳の広汎な領域間の協調によって行動の開始が遅延されます。このプロセスを、我々は意識として経験するのです。」と。・・・・文章A


ここで情動の説明が必要となりますので、探しますと、

われわれの行動は・・・これから行なおうとする活動に向けて身体を準備し、その実行を可能ならしめる脳と身体のダイナミックなプロセスを伴います。わたしの考えでは、このような準備が情動として観察され経験されるのです」とあります。

簡単に言うと、行動の準備が情動です。


そこで、この上の文章A、ポイントを掴みづらい文です。が、

追っかけていきますと、先ず、


「情動からの行動」と「理性による行動」の、二つが

個人の内部から創発している、     というのは理解出来ます。

またゴールに向けられているという点、 というのも納得出来ます。


そして内部からの創発という点で情動的であり

ゴールに向けられているという点で志向的というのも、主張として納得できます。


しかし、「それらの相違点も明白です。」とありますが、良くわかりません。何がちがうのでしょう?

そして、それらとは、「情動的行動」と「理性的行動」のはずです。


で、次に続く文章から、明白な相違点は脳の自己組織性から起こっているようです。でもこの文章をいくら読んでも相違点が見えてきません。書いていないのです。


そこで脳の自己組織性とは何かとなるのですが、別の箇所の説明を見てみますと

1個のニューロン、あるいは脳のいかなる一部も、他の部分の活動を統御してはいません。協調は、それへと招き寄せられるものであって、強制されるものではないのです。脳の働きを理解する鍵は、脳の各部位が膨大な反回性回路を通じてその出力を他の部位に隈なく伝達し、同時にそこから出力を受け取ると言う事実にあります。それは合唱団の歌手達がお互いの声を聞き、反応し合う様子に似ています。このような相互的反応を介して神経活動が一致することにより、行動の自己組織化が生じるのです。

との説明があります。


この様な自己組織化・自己組織性からどの様な差・相違点が生じるのか。想像しますと、

自己組織性によって行動を引き起こすカオスが制約を受け、それと同時に、脳の広汎な領域間の協調によって行動の開始が遅延されます。このプロセスを、我々は意識として経験するのです。」という文章Aの後半部は


自己組織性=カオスが制約を受けます、そして

脳の広範囲の協調が起こります

協調に必要な時間が開始の遅延を引き起こします


このプロセスとは、ブログを書いている私が思うに多分、遅延を生じる協調のプロセスのことで、それが、意識経験になると言っています。

協調のプロセス=意識経験


そして、「情動的行動」には意識無く、「理性的行動」に意識あり、と言う事での差が、明白な相違点になると言っているのかも知れません。


結局ここでは問題提起をして、フリーマンは中途半端な説明で終っています。ですから、「この問題については、第7章でより詳しく述べることとします。」と言っている所以です。



その後

神経活動の自己組織化は最も単純な脳においてさえ生じるものですが、本来情動的である志向的行動が、そこからどのように生じるのでしょうか?」とありますが、判りにくい文です。あなたはわかりますか?

私が思うに、この文章は次のように理解すべきです

“脳内カオス現象は、脳活動の最も単純である部所でさえ生じているものです。それを前提として志向的行動が、カオスからどのように生じるかを考えて見ましょう。”と言うことです。

この回答が以下に示されます。


これに関し、著者フリーマンは色々と機能的説明をしてくれます。唯物論者の考え、認知主義者の考え、そしてフリーマンのくみするプラグマティズムの主張など。


そして、上の志向性行動追及の為、

時空の認知・内嗅皮質と海馬との間に存在する時空ループの重要性について語ります。

というのは

志向的行動が空間と時間の枠の内で行なわれる事には誰もが同意しています」し、

海馬が時空における行動の定位に深く関わっていること、・・・そのことはすでに実証されています」からなのです。


そして、

ここで私は、時空ループとして図式化した辺縁系の神経集団がアトラクター地形を構築し維持しているという仮説を提示したいと思います」と仮説の粋を出ませんがフリーマンは主張します。

この時空ループの活動が、カオス的である、と言うことで著者は重要とします。


志向的行動と時空ループは深い関係にあること、

時空ループの活動がカオス的であるということ

これら二つが重要なポイントになっています。


途中の説明は省きますが「こうして生まれたパターンは、時空ループをその内部に含むより大きなループからのフィードバックによって修飾されます。これらのループは、皮質間における伝達が、遂行の命令よりは、むしろ協調への誘いであるという原則を表しています。従って私は、振幅変調パターンの自己組織的な展開が、カオス的不安定性を介して、志向的行動の流れを司っていると信じます。それが自己を構築するという大仕事に他なりません」と言うのです。


(先に示しました“脳の自己組織性とは何か”の文にあるのですが、「1個のニューロン、あるいは脳のいかなる一部も、他の部分の活動を統御してはいません。協調は、それへと招き寄せられるものであって、強制されるものではないのです。」ということで)

カオス的活動ループは、皮質間の伝達が行動命令でなく、協調であることを示している。

だから、志向的行動がカオス現象から生まれると信じている。

さらに、そこから自己が生まれる。

これが先ほどの志向性行動追及の答えです。



次には、この辺縁系(時空ループ)と前頭葉運動皮質の関係、つまり志向的行動の実際の行動部分との関係です。


ここで

広い意味において、前頭葉の役割は、辺縁系が定めた志向的行動に関して、その未来における状態と可能な結果を予測することにあります

これはプリアフェレンスを呼ばれるもので、本書の重要な概念でもあります。

そのプリアフェレンスとは

大脳半球は全体として・・相互作用的な神経パターンを・・構成します。これらのパターンを伴う活動は、行動の複雑な連鎖へと身体を導くと同時に、これから実行しようとする目的を持った行動の結果として予想される匂い・光景・音・味を選択し、それらに関わる感覚皮質を準備状態に置きます。この核心的プロセスをわれわれはプリアフェレンスと呼んでおり、それはわれわれが注意および期待として経験するものの基盤を成しています。」ということです。

以前に示された情動の説明文と似ています。


そして具体的には

プリアフェレンスはアトラクター地形を形成する秩序パラメータであり、アトラクターのベイスンを拡大し深めることによって、期待された、もしくは望ましい刺激の捕捉をより容易にします。それはメゾスコピックなバイアスを加えることによって、感覚におけるアトラクター地形を傾けさせ、関係するベイスンとアトラクターへの落ち込みを促進します」と。


つまり、プリアフェレンスがあたえられると、カオス状態があらかじめ落ち込みやすい点を用意される事になり、期待された刺激対応が出来ると言っています。


このような、部分的はカオスパターンを「パッチ」とも言うのですが、これら多くのパッチの全脳的強調活動が知覚と行動の統一性を示すと言います。

そして次ぎの章ではこのパッチの脳全体における巨視的観点から、意味の形成において果たす役割を考察するようです。



この章で言いたかった事は、行動は理性的であれ情動的であれ、情動的で志向的である。そして、それはカオス的現象であって、海馬等の辺縁系の時空ループにはじまり、時空ループから前頭葉運動皮質にプリアフェレンスな信号を送ります。「プリアフェレンスは、期待と注意の多様な様式の知覚プロセスを準備します。このような準備的な構えなしには、探索も知覚も生じる事はできない」のです。



以上、やっとここまで理解出来ました、私にとって難解な文でした。