今日はすこし脇道を行きますね。


フリーマンの「脳はいかにして心を創るのか」の第6章「気付き・意識・因果律」を読んでいるのですが、その入り口ですこし足踏みします。なぜなら、そこには生物における意味が記されており、“意識解明”に情熱を注ぐ?私にとっての素通りはもったいないと思われたからなのです。


脳内で、意味が創成されるメカニズムが判明されれば、意識の謎・心身問題・クオリア問題が解決されるのです。

なぜなら、意識とは意味そのものなのですし、

物理的活動と意味の関係、(単なる対応関係・表象関係でなく、因果関係)がわかれば意識の謎が解けるのです。

ちなみに、ここで言う意味とは、表象のようなものではなく、ひとり立ちできる意味・自立的意味の事です。


それでは、フリーマンの言葉を拾っていきます。

意味の生物学には、脳と身体全体が関わっています。」と。

私は、その通りであると思います。


次ぎは

生命にとって意味のある状態は、身体と神経系の一つの活動パターンであって、それは

脳の物理的空間ではなく、生命体の状態空間における特別な焦点ともいえる状態です。」と。

ここで「生命にとって意味のある状態」とありますが、これは何なのでしょう?

活動パターンである事

脳の物理的空間ではない事(活動パターンは物理的空間に含まれるはずですが)

生命体の状態空間であり、特別な焦点状態・・・これは何でしょう?

状態空間とは、多分生命体をダイナミカルシステムと捉えたとき、の生命体内部状態をかっこよく言ったものでしょう。でもこのときの状態変数は何が対応しているのでしょう。


続きを読みますと

意味が変化するとこの状態も変化し・・・

それぞれのダイナミックな状態の構成要素は、

  脳においてはパルスと波

  筋肉においては収縮

  間接においては骨の角度


意味とこれら状態が対応している?誰が意味の内容を決めるのでしょう?


元に戻して、「生命にとって意味のある状態」とありますが、これは何なのでしょう?

生命体のある状態が、その生命にとって意義がある状態のことなのか

生命体のある状態を誰かが見て意味をそこに発見するのか、

生命体のある状態が、意味世界という別次元を創成している状態であると言っているのか、


明確ではありません。明確でないということは、広く・どうとでも取れる表現を求めているのだから、

たぶん、細かい事を考えず、生命体のある状態に意味・意義があります、ということでしょう。



つぎは

意味は、脳におけるニューロン間のシナプス結合全体と、神経修飾物質によって決定されるそれらのトリガー・ゾーンの感受性から創発しますが、脳の他の部位の成長・形・適応にもある程度影響されます。」と。

この文は、意味は神経活動などから創発されると言っています。

でも、意味の定義がされていないので、片手落ちです。


読んでいきますと、次のような事が書かれています。

この状態空間は短い分節に分けられたりしますが、全体性を包含している。

この短い分節は、状態空間における位置と、軌道が与える優先的な方向をもっており、この分節の位置は脳活動と行動の測定によって決定できる、と。



ひきつづいて、再度、意味について書かれていますので、何か手がかりが得られるかも知れません。

また、意味は我々全てが、自分自身あるいは他人の行動の観察を通じて経験する心の状態です。

やっと、わかりました!

この文章からフリーマンの考えを読み解きますと、

彼は、“意味とは自分の心、他人の心を通じて経験すること”、であると言っています。つまりこれは、私の言う“表象のようなものではなく、ひとり立ちできる意味の事”では無いようです。あくまでも、まず認識の主体があり、それが見て・感じる意味を意味と言っています。


このような立場では当然ながら、“意識の解明”・“心身問題”・“クオリア問題”は解決できません。


でも、フリーマンは「気付きとは一つの心的経験であり、ニューロダイナミクスの用語では過渡的状態に対応します。」といいます。

これは、過渡的状態という状態が気付きに対応していると言っているだけで、解明には程遠く、単なる観察以上のものではありません。


また「意識とは、半球全体にわたる気付きの状態の連鎖が意味の軌跡を形成していくプロセスです。」とも。

これも、なにも新しい事を言っているわけではありません。思弁的で、表現言葉が変わっただけです。ただ、ニューロダイナミクスという新しい言葉が導入されました。



そして、極めつけ、

脳と身体のダイナミクス・・心的経験と脳活動の関係を理解することとは、二種類の言語構築物である現象学と神経科学との間に対応を見いだす事にほかなりません。」と。


前にも言ったとおり、対応で解決できる問題では無いと思うのですが、著者は断言しています。


ですから、著者は、

一般的には心身問題と呼ばれているこの問題は擬似問題に過ぎません。

一方に精神を立て他方に物質を立てて、それらの因果関係について考えることはカテゴリー過誤に他なりません。

問題には通常答えが存在しますが、擬似問題には答えがありません。

それで

心身問題は放っておくとして、脳活動と心的経験との対応は重要である・・・から、これからその仕事に取り掛かる事にしましょう。


と言うのです。


第一回目のブログで私が期待していたのは完全な間違いだったのです。


(以下は1回目に私が期待して書いた文)

“「本書において私が目指すのは、従来の生物学の基本的発想を転換させ、脳のダイナミクスを正しく理解することによって、選択という生物学的能力を説明することです。

具体的には

選択のオプションがニューロンによって構成されることを説明するような脳のメカニズムを指示すること」。わかりにくい表現ですが、要は選択がどのような脳のメカニズムで出来上がるかを提示するということです。次に

選択の瞬間に、ニューロン回路にどのような事が生じているのか」ということ。

最後に

気付きの本性とその役割、および気付きの状態と意識内容の継起との関連を、脳科学的用語を用いて説明することです。」となっています。これは心脳問題そのものです。著者はどのような答えを用意しているのでしょうか。大変楽しみです。“


勘違いでした。