意識の追究のため、それなりに頑張っているつもりですが、なかなか思う進展がありません。当然のこととは思うのですが、でもひょっとすると何か新しいものが得られるかもしれません。継続は力ですから。ということで、少しでも取っ掛かり・引っ掛かりが見つからないかと期待しているのです。


実は、そのため、量子力学、量子コンピュータ、神経細胞の分子レベルでの構造、進化論、システム論などを漁って勉強しています。しかしなにせ基礎が不十分ですから、遅遅としているのが実状です。

更に、趣味の宋学の勉強(二程全書の解読)も同時にやっているので、時間が足りません。そして、仕事もずーっと忙しくなり、てんやわんや状態であります。


でも、今日は

「進化論を書き換える」池田清彦  新潮社  2011年

を読みます。

池田先生は早稲田大学の先生です。


この本の表題はかなり刺激的です。本がよく売れる事を期待してのことでしょうが。

進化論仮説は百花繚乱の観があり、大変楽しく興味ある領域ですし、上でも述べたように、意識の追究に何らかのヒントをくれるのではないかと期待できるところです。


さて、表題にある「書き換える」内容というのは一言でいうと、どうやら獲得形質が遺伝をすると言う事を言いたいようです。

この獲得形質とは用不用説をも含むラマルク流の進化論で、たとえば「毎日、バットを振り回していれば腕は太くなるし、歩かないで車に乗っていれば足は弱る。しかしそれが進化に結びつくためには、経験の結果獲得された形質が遺伝する必要がある」というもので「歴史上、獲得形質が遺伝すると主張した学者は何人もいた。最も有名なのは20世紀初頭のウイーンの生物学者カンメラーであろう。カンメラーは通常は陸上で交尾して脚に結婚瘤を持たないサンバガエルを、水中で交尾させることを何世代か繰り返してやると結婚瘤が出現することをもって、獲得形質の遺伝を主張した。カンメラーは実験の真偽を疑われてピストル自殺をしてしまう」という話で、

このラマルク説は今までは否定されていたのですが、ダーウィン流及びネオダーウィニズムでは説明が出来ない現実がたくさんあるので、新しい仮説を提案されているようです。


例えば説明できない現実には、

蛾の羽の色の環境による変化などはネオダーウィニズムで説明が出来ますが、蛾の種を越えた進化は説明出来ないというのです。蛾からトンボに変化するような説明が出来ないのです。要求される遺伝子の変化が余りにも多すぎるからです。

少なくとも現在の技術の範囲内では、遺伝子を人工的にいくらいじっても、大腸菌は大腸菌のままであり、ショウジョウバエはショウジョウバエのままなのである。遺伝子を操作すれば奇形のショウジョウバエはいくらでも作れる。しかし、ショウジョウバエ以外のハエは作れない」のです。


そこで、著者は遺伝子レベルの考察において、「遺伝学では一つまたは数個の遺伝子がある形質を作るといった単純な還元論が支配的であったが」「遺伝子はシステムを動かす記号であって、究極原因ではないのである。多くの遺伝子は単独では意味をもたず、他の遺伝子たちと組み合わさって、始めて意味を持つものだと思う」のです。つまり、「ヒトの全DNAの塩基配列は明らかになったが、ヒトがどのように創られるのかは一向に分からぬままである」し「ゲノムの中の情報は暗号化されているので、暗号が解読されれば、ゲノムを見ただけで、生物の構造を想像することが出来るようになるだろう、と思う人がいるかもしれない。しかし、そうはならない」のです。


そこで、著者はゲノムそのもののダイナミックシステムの説明に入ります。単純な還元論を克服する為の準備です。

遺伝子は個体発生に従って次々に発現していく。どんな遺伝子がいつどこで発現するか。それが異なると結果も異なる。だから遺伝子が全部わかっても結果は分からない。タイムスケジュールは遺伝子だけでは決まらない。遺伝子と細胞の相互作用によってきまるのだ。遺伝子だけでは機能しないのだ。


遺伝子だけでは形体が決まらない、「遺伝子と細胞の相互作用によってきまるのだ。」ということで、ネオダーウィニズムで説明が出来ない進化を新しい進化論仮説で説明をしようと言うものです。

細胞は絶えず環境にさらされ変化を受けています。その細胞と遺伝子の相互作用が進化にも関係しているのではないかと言う事です。

と言う事は環境の影響が遺伝に現れるのです。


実は私も前から昆虫の擬態とか、ヒラメの表皮色・保護色の変化を知るにつけて、ネオダーウィニズムだけでは、進化の説明は難しいのではないかと考えていた一人ですから、この続きは楽しみです。

昆虫にしろ、ヒラメにしろ、外世界を見て、自分を変えているとしか思えませんから。