この一ヶ月、ずうっと悩んでいる事がありました。悶々とした日々を過ごしていたんです。

それは、ブログに書いた、“「二程全書」を解読しています”、というその事です。

その本の中で、解読不能の言葉があり、読みきれず悩んでいたんです、たった5文字の文章ですが、理解できませんでした。一ヶ月で一巻を現代文に翻訳しようと進めているんですが、二巻目で予定がひっくり返りました。


二人のうち、どちらかの程子が禅を批判しての文章中の言葉で「又却要周遍」・「又かえって周遍なるを要す」とある言葉です。この5文字の意味に一ヶ月ほどトラップされていたのです。ポイントは要と周遍であるとは理解できますが、いくら辞書を引いても納得のいく解が得られなかったのです。

周遍は大漢和辞典ではくりかえしという意味だ、と書かれてあり、そのほかの辞書では周遍という熟語がありません。


漢文を読むには、前後の関係と1字1字の意味を矛盾無くつなげることによって読んでいくのですが、全く何度読み直しても筋が通らなかったのです。

でもやっと周遍の意味を見つけました、それは仏教用語で「この心広大にして法界に周遍せん」とあるのです。仏性は遍満しているのです。

ということで、私が困っていた意味は「また却って、こじんまりと独り善がりで・ちぢこまっていてはいけない、宇宙に自分の心を広げなければいけない」と言う意味でした。仏をその言葉中に見なければ意味が通らなかったのです。


「二程全書」は儒学の本ですから、儒学の言葉ばかりを漁っていたのですが、彼らは禅とやりあっていたので、それなりに仏教言葉を使用していたのです。


と言う事で、宋学の勉強には禅・仏教の勉強もしなければいけないと、悟りました。


思い返せば、「二程全書」の冒頭の文章も仏教批判の文章で、そこにも訳の分からない言葉使いがありました。その言葉は「山河大地の説」ですが、これもよく調べていきますと「涅槃経」の中にある言葉です。お経の中の言葉は残念ながら、辞書にも私の頭の中にも存在しなかったのです。この時は1週間ほどで解決しましたが、今回は一ヶ月かかりました。仏教用語辞典を手元においておかないといけない事がわかったので、お金をためて買うようにします。


問題解決、今日は暑いですが、気持ちがいい一日です。