「進化論を書き換える」の3回目(最終)です。


今回は本書の第3章に対応しますが、本章には、第1と第2の章の内容の再構築的なものが書かれてあり、特に新しい事はありません。


つまりは、「遺伝子や遺伝子以外のDNAが変化してもしなくても、発生プロセスが変化しなければ多細胞生物の形は変化しない。

DNAの変化が形の変化に結びつくためには、新しい遺伝子が出現したり、既存の遺伝子が重複したりして、DNAの配列に変化が生じ、これらの遺伝子達が発生プロセスを変更させる必要がある。

というもの。

発生プロセスの変更が進化であるというのです。


そして「発生プロセスの変更を引き起こす重要な遺伝子に、沢山の遺伝子たちの発現をコントロールする発生遺伝子がある。」のですが、この発生遺伝子もDNAの配列であり、変異もするのです。するとDNAの突然変異が形の変化・発生プロセスを変えることになり、これはネオダーウィニズムの主張するところですが、著者はその他の理由で、ネオダーウィニズムを批判排除しています。


この“その他の理由”の一つに「表現型多型」があり、「ワニやカメの雌雄の性決定は卵の置かれた場所の温度に支配されている」というもの。環境により表現型が変わる例の一つです。

さて、表現型多型はそれだけでは形態の進化に結びつかない。環境変動といくつかの多型の対応が一意に決定されている間は表現型多型そのものは進化と無関係である。

進化と結びつくためには、環境変動に反応する応答基準が変化して新しい表現型を意味出すか、表現型多型のうちの一つが固定して、安定化する必要がある。

と言います。

さらに“その他の理由”に前回述べました、DNAのメチル化も含まれる事はいうまでありません。

このあたりは、私の理解間違いがあるかも知れません。



そして、私が特に知りたかった擬態については「これらは突然変異と自然選択による適応の好例として紹介されることが多い」として基本的にはネオダーウィニズムの説に納得をしていますが、「どう説明してよいかわからない」のが本音なようです。

たしかにランの花に似たカマキリは不思議な存在と思いませんか。


最後に、

この本での著者の本当に言いたかった事は、私も首肯しますが「進化の問題は遺伝子の使い方を制御するシステムについての洞察なしにはとけないのだと思う。」と言う事です。つまり遺伝子を含めた生命体システムの解明が為されないと、解けないと思うと言われます。

色々な仮説は、哲学的な思弁的議論と同じく、話としては面白いのですが、最後には現実システムの把握・理解が欠かせないと言う事でしょう。

そして、意識の解明も同じことと思うのは私だけでしょうか。