儒教の教科書に四書、五経があり、昔はまず「大学」から入って行ったようです、ですから二宮金次郎は柴を背負って、「大学」を読んでいたのです。

その四書の最後の書である「中庸」に

「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中(ちゅう)と謂う。発して皆な節に中(あた)る、これを和と謂う。」という有名な文言があります。いわゆる“中和(ちゅうか)を致す”ということです。ちなみに和を“か”と読むのは漢音読みで、“わ”は呉音。


意味は

「喜怒哀楽の感情がまだ表に現れていない状態、偏りのない状態、感情が動き出していない平静な心の状態を「中」といい、感情が動き出し表に現れ、その感情がみな当然の節にあたる、感情がしかるべきところに落ち着く事を「和」という」のです。


この「中・和」は儒学・宋学では「性・情」と同様重要な概念で、伊川が近思録の中で「中」を「天下之大本」、「和」を「天下之達道」と賞賛しており、近思録を編集した朱子も同じ意見の持ち主です。


ところが、最近読んでいる二程全書ではこの「中」の事を重要視していないのです。宋学のイメージが変わります。

今日はその話を(巻二上より)。


まず二程は明道・伊川兄弟のことで宋の儒者、

王安石そして以下に出てくる司馬光、また蘇軾・蘇洵兄弟と同時代人で、彼らと政治論争を繰り広げたようです。したがって、二程全書には王安石の言葉とか、司馬光のことなども、肉声の如くこの本に記されています。


で、本文には司馬光の患いが述べられています。

彼が「思慮が乱れ、夜中起き朝まで寝られない」とこぼしているのを程子が聞き及び、「元気があるなら、それくらい克服できる」とハッパをかけています、

その後司馬光が「最近ある方法を見つけた、それは「中」を心に念じるといいのだ」といったと、あります。

不眠症の悩みを解決したと司馬光は言っています。


司馬光は、よく知られた資治通鑑の編者で、王安石と対峙した宋の宰相です。ちなみに資治通鑑の意味とは、政治を行う為の資源としての歴史書です。

司馬光は旧法党の領袖で王安石と対峙したので有名、二程子も蘇軾・蘇洵も与しています、が、程子兄弟と蘇軾兄弟も喧嘩しています。ややこしいです。


さて、不眠症で悩む司馬光が、不眠症対策に「中」を心に念じるという方法を見つけた、とよろこんでいるのです。「中」は上に書いた「中」で、心の平静を保った状態です。

あの有名な司馬光が不眠症で悩み、その対策を見つけよろこんでいる姿を想像すると、なんだかほっとする気分になります。


これに対し程子は

「そんなこと言っても、また「中」に心を乱される。「中」にはどんな利点があるのか?「中」を得るためにどう念じるのか?」とかなり「中」を心に持つのに否定的で、

果ては「「中」という有名な言葉を選んだだけだ。この「中」より、数珠を一本持っていたほうがいい。」と減らず口をたたいています。なぜなら、数珠は仏徒の持ち物で、禅を嫌った儒学者の言とは思えません。ひょっとするとこの「中」に禅の無我を見いだしたのかもしれませんね。

さらに「「中」は心を治めるのに無益であり、数珠の癒(いやし)に他ならない」とまで言い。

最後は「心を主としなければいけない」と言っています。「中」より「心」なのです。

これは、「大学」にある「心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず」、「身をおさむるはその心を正す」からきているのかもしれません。


以上を述べている程子は多分明道のほうだろうと推測します。伊川、明道は微妙に主張が異なります。


伊川は上のように「中」は「天下之大本」とまで言っていますが、この文章の程子は「中」は「数珠の癒し」と同じだと歯牙にもかけていません。だから明道であろうと考えられるのです。


宋学の大成者朱子は伊川の説を踏襲し発展させました。それはそれでいいのですが、明道が明らかに別の事を述べているということに驚きを禁じえませんでした。

以前、私は、伊川が「性即理」と明言しているのに、明道は「心即理」に近い事を言っていたと思って、ちょっと異なる思想の持ち主だなと感じていたのですが、ここまで違っているとは思いませんでした。


「心を主としなければいけない」と言うのは明らかに明道の思想で、陸象山の思想に近いものです。

二程全書は二人の言葉を明確に誰の言葉であるか示さずに混ぜて編集していますし、多くの学者は明道の事を春風和気、伊川の事を秋霜烈日と評されていますが、実はその上を行った違いがあります。


明道の「万物一体の仁」は後に続く王陽明に引き継がれますし、伊川の「性即理」は朱子に引き継がれましたが、陸王の「心即理」にやられました。


今の学会で、明道と伊川の違いをどう捉えられているのかは知りません。

私は、なんだか決定的な違いがあるのではないかと思っていまして、興味を持っています。

また、朱子学の創成期でしたから、この様な色々な考え方が出てきたのでしょうか。



最後に、

今日紹介した二程全書の文章中おしまいの所に面白い言葉がありました。

それは「夜中に目が醒めるのは普通良くあることだ」と。

なんだか“こんなことぐらい”と、切り捨てているようです。不眠症などは病じゃないと言っているようです。

司馬光は程明道より13歳年上です。宰相にもなった年上の人物に言える言葉でしょうか?どんな付き合いをしていたのか?いやたぶん、本人に直接言った言葉ではないでしょう。