かつて私が社員研修を受けたとき、講師の先生の話に

「赤色とは何ですか?」

という話があった。

この講義が何だったのか忘れたが、プレゼン・説明の仕方の例で話されたものだったと思う。


先生は、

「赤とは、可視光で波長が・・・・」と話を物理的にしても相手にうまく伝わらない、

だから、赤い本をみせて

「赤色とは、この本の色の事を言うのです」

といえば、すーっとわかると。


なるほどなあと関心していた自分を思い出します。


その後、テレビの漫才で

「消防自動車が赤いのは、郵便ポストが赤いからだ」というのを聞いたような気がする。

うまく言うもんだと、これも関心しました。


この様に赤いとは何だろうかと言っても、

関心は出来ても、自分でうまく納得が出来ない。


なぜなら、

脳の中では赤をどのように認識しているのだろうか、また

脳の中では赤をあの赤い質感で表わしているのだろうか、がわからないからです。

この脳内の出来事が理解されれば、冒頭の「赤色とは何ですか?」の答えもすらすらといえるかも知れない。


よく言われる事に、

目の前に見える、この赤色はどうしてこの赤色なんだろう、

他の人の見ている赤色と、わたしの赤色は同じであるのか?


また、

色つきの夢を見る人がいると聞きますし、

私も色つきの夢を見た事があったのかもしれませんが、

今、

あなたは、眼をつむった状態でリンゴの赤色を想像して、あの質感を感じられますか?


私は想像の世界ではあの質感は感じる事が出来ないのです。

しかし“見ればわかる”という信念はあります。

実際目の前にリンゴを置いて、眼をつむったり、開けたりして、想像のイメージと現実のイメージの差を比較すればよく分かります。全く違うのです。


では「子供の頃にみた、沈む夕日のあの赤色。脳裏に焼きついたあの赤色」とはなんなんでしょうか。

夕日の赤色そのものを憶えているのか、

それとも夕日の赤色が赤かったという経験を憶えているのか。


そもそも、憶えていると言うのは何を憶えているのか?

痛みを憶えているといっても、今痛くも何ともありません。

痛かったと言うのは確かに憶えています。

赤と同じです。


クオリアは記憶できるとか記憶と同じことであると言っても、

簡単にそうであるとはいえません。

現実のイメージと記憶のイメージは全く異なっているが、脳のどこかで引っ付けているのです。


またクオリアとは、

多分脳が、独断で勝手に作り上げた、独り善がりのイメージであることにはちがいがないのでしょうが。幻想、幻聴のように。

でも詳しい事は全く不明です。