情報とは、物質、エネルギーにつぐ第三の存在で、その本質は「意味作用」にあります。意味を理解するのは生物なので、情報が生まれたのは、生物が誕生した約35~38億年前。つまり、宇宙が約130億年前にできたとすれば、情報は100億年近くのあいだ存在しなかったということになります。僕は、情報とは「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」であると定義しています。つまりまず、情報とは物質やエネルギーとは違ってパターン、形だということ。それから、自己言及的な性格を持っているということです。


上の文章は東京大学・西垣先生の2002年に記述された文章です。

http://www.digital-narcis.org/research/research.htm


グレゴリー・ベイトソンの「差異を生み出す差異」という情報の定義がありますが、これにちょっと似ていますね。


このように現在では、情報においては意味を重要視していますが、その意味はあくまでも物理パターンが基にあって、それにより生物がパターンを作り出すパターンとしています。

簡単に言えば、生物が物理パターンの持つ意味を理解したものが情報であると言えるのです。


しかし、意識・クオリアなどの脳内情報(意識情報)は脳内に主体を持った生命体が存在しない(ホムンクルスなど)ので、西垣先生の言われている情報の範疇からははみ出ていると言えるのです。

意識・クオリア情報は従来の情報を超えた情報なのです。


それでは、意識・クオリアの「意味作用」をどう捉えればいいのでしょう。

従来の情報はあくまでも意味は主体に理解されるもの、つまり受け身の情報であるが、

意識情報は脳内において、物理パターンは次段に影響を与えるという状況において意味を作り出す能動情報なのです。

このように、“情報には物理パターンの因果連鎖が必須である”ということになります。

だから、脳内情報は「差異を生み出す差異」ではなく「差異が生み出す差異」というべきです。


そして私は、

クオリアとは、脳内情報の意味の独り立ちした「意味そのもの」であると言ってきました。「意味」とは主体があって始めて成立する概念です。例えば生命が誕生する以前の地球に「意味」が存在したでしょうか、地球から100億光年はなれた宇宙空間に「意味」は存在するでしょうか、またブラックホールの中に「意味」が存在するでしょうか。

多分「意味」は存在しなかったし、しないと考えられます。


しかし、生命は「意味」を理解でき、「意味」を存在させられるのです。このことは生命活動という物理現象が「意味」を創生出来た事を意味しています。


それでは“どうして”・“どのようにして”生命体が「意味」を創生できたのでしょうか。

常識的に考えて、生命体の持たされている物理傾向、つまり生命体の維持傾向をまっとうする為に外界を認識する為に必要であったが為であると考えられます。

外界世界を認識する為に神経活動が使われました。またどのような作用を外界に作用させればいいのかの判断をする神経活動が働きます。これらはすべて神経活動の因果連鎖が担っています。


そして、神経活動は、細胞のイオン活動に尽きます。

この様な制約された神経活動・因果連鎖のなかに、外界を認識する為の物理活動パターンが生まれてきました。つまりイオン電位の変化活動の連鎖の組み合わせのどこかに外界を認識出来るのがあるはず。

そして、この組み合わせを見つける事ができるかどうか。

また、イオン電位の変化活動のどの物理層の活動にあるのか。


この組み合わせは、認識機能を満足させ、外界を自分の都合の良いように理解する。この機能が「意味」を作り上げたのです。だからこの「意味」はどのような意味であってもよくて、ただ生命体システムと整合しておればいいのです。結果論的に整合しておればいいのです。


この様に出来上がった「意味」は脳内において、特別な物理現象・物理活動を誘起した結果のものです。

すると、意識とは生命体が外界を認識する為の機能発展の結果であると考えられ、

意識があったほうが、なにかと便利である所以です。