今年も8月6日が
やってきました。
僕がやっぱり広島出身だなと
一番思うのは、8月6日を迎えた時です。
あまりにも身近に、「平和」とか「原爆」とかを考える状況があったり、毎年のようにドキュメンタリーやニュースで平和とかを取り扱われたりすると、否が応でも「平和」について考えざるを得なくなってるのかなと思います。
8月に入ると広島のテレビは横並びで平和特集だったり、原爆関連のニュースを放送するんですけど、そんな中で僕が印象的だったのはこのニュース。被爆者の方の平均年齢が83歳を超えた今、次々と被爆者団体が高齢化による維持困難で解散を迎え、被爆体験の継承が大きな課題となっているというニュースです。
このニュースを聞くと、「被爆者の声が生で聞けなくなる」タイムリミットがすぐそばに近づいているんだなと実感します。
そうなってきたとき、果たしてこの「原爆投下」という事実は、果たして後世に伝えられるのかと不安になります。
そもそも、なぜ僕がここまで毎年「平和」について言及するのかというと、僕自身が被爆者の方の体験を生で聴いた経験があり、そこで平和の尊さを学んだから。
小学校四年生の時の社会科見学の時に、偶然にもそういう機会があって聴くことができたのですが、その時の最後の言葉が未だに僕は忘れられません。
※実は4年前も同じ言葉を書いたのですが何度でも私は書きたいと思います)
「平和とは空気のようなものなんだ。
当たり前のように感じているかも
しれないけれど、
失ってから初めてそのありがたみに気づく。
でも、それじゃ遅いんだ。
もうじき、僕は死ぬ。
いずれ、僕の仲間達も亡くなって、
あの地獄のような体験を後世に
語り伝えることができる人は
この世からいなくなってしまう。
そうなると、誰が平和を訴えてくれるんだ?
当たり前に感じている平和は
すぐに無くなってしまうもの。
だから君たちには、『平和』が
『当たり前のものではない』ということを
常に意識してもらいたいんだ。
そして、このことを
君たちの次の世代に伝えて欲しい。
じゃないと、
今、君たちが『当たり前』に思っている
『平和』は『当たり前』では無くなるんだ。
次の世代に伝えること。
これが君たちに与えられた使命なんだよ。」
今でもこの言葉は忘れられません。
この言葉を語ってくれた方は4年後に鬼籍に入られ、もうこの世にはおられません。でも、この言葉はずっと僕の心の中に生き続けています。
「平和」は壊れやすくて、決して、当たり前のものではない。
本当に心の底からそう思います。
「当たり前の日常が続く幸せ」…、
その大切さを改めて感じるのが8月6日です。
皆さんも今日一日、「当たり前の日常」が続く幸せを感じて頂けたら幸いです。では、今日は、この辺で。。。
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