神社、お寺に行く話 | お金と自由とライフワークと萌え

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あんま具体的に書いたことないなーと気づいたのだが、自分はしょっちゅうお寺や神社に参っている。

そんな意識したことがなかったのだが、ここ一か月で数えたら大小含めて20か所以上行っていた。

数だけ見ると2日に一度以上くらいのペースだが、たまに1日に10か所行くとかもあるのでそんな毎日とかでもない。

 

 

 

たまに参拝の正しい作法などを聞かれるが、失礼がなければいいのではなかろうか。

というか、作法より姿勢や心が問題なのでそっちを意識すべきかと。

どんなに正しい作法であろうと、正しき心でなければそりゃ意味がない。

その意味で言うと、どこの神社がパワーがありますか、というご質問も半分は意味がない。

心や姿勢が真っすぐ神仏に向かっているかどうかでご縁がいただけるかどうかは左右される。

 

 

 

なんつーか、これはまんま、人間関係と同じと思えばいい。

あなたが会社の部長とか課長みたいな立場だとして。

むちゃくちゃ会社のルールは守るが、人としてクソなヤツや上司をバカにしているヤツをいい部下とは思わないだろう。

そういう部下にいい仕事を回したり、昇給させたりしたいとは思わないだろう。

どんなに会社のルールを真面目に守っていようがそうじゃないか?

上司であるあなたから見てイヤな部下だったら目はかけないよな。

神仏も同じだ。

むしろ神仏は心や魂を見る。

神仏に愛される心であれ。

 

 

 

お寺や神社に行く理由もたまに聞かれるが、私に限った話、どうしても助けて欲しい誰かがいる場合を除き、願い事があってお参りすることはない。

ほとんどはご縁をいただいたことへの感謝とご挨拶のために行く。

これはあくまで自分に限った話なので、願い事をしてはいけないという話ではない。

なんでも好きなことをお願いすればいい。

じゃあお願いすればなんでも叶うのかと言われると。

これもさっきの会社で例えたらわかりやすいかと思う。

あなたが部長だか課長だかで、部下から「新事業のプロジェクトに僕を入れてください!」とお願いされたら、お気に入りの部下だったら快くOKと言うだろうし。

部下から「給料上げてください!」と言われても遅刻欠勤ばっかで大して仕事してないみたいな部下だったらNOと言うかもしれないよね。

会社だったら部下の仕事を見ての判断だろうが、神仏は心や魂を見るから、やはり神仏に愛されるような心や生き方でいないとアカンですな。

 

 

 

じゃあお寺や神社で願い事が叶いやすくなるには?

やはり心や魂をご覧になる以上、本気度や誠意は最低限として。

当たり前だけど普段の行動や思考にも気を使って徳を積もう。

神仏から人を見る時、積まれた徳が見えるのだよ。

人を平気で傷つけたり、自分の得のためだけに動いたり、そういうのはアカンよね、当たり前だけどさ。

しかし、同時に自己犠牲にも厳しいよ。

神仏から見たら人の魂は皆等しく大切な宝なのだ。

自己犠牲はそれを傷つけている行為でもあるので、神仏は評価しない。

自分の魂を粗末に扱うようではあかん。

苦しい時は素直に助けてくださいとお願いするのだ。

神仏は愛が強くて慈悲深いものだ。

しかし、人の学びもよくご覧になる。

その人にとって必要な学びであれば、手を差し伸べないこともある。

神仏から目をかけていただくために、日ごろからよく自分がどう在りたいのか、向き合っておくこと。

これは面接と同じだ。

どっか就職すんのに面接に行った時にヘラヘラしててまともに質問に答えられない者は当然落とされやすいわな。

人間の面接に落とされてもいいけど、神仏の面接に落とされるようではならんのじゃ。

願い事を叶えてもらおうと思ったら当たり前だけれども。

 

 

 

お賽銭についてもよく聞かれるんだよなあ。

これはいろんな考え方があるのだが、ひとつには、感謝のしるしとしての側面。

お寺や神社に参らせていただいてるのだ、ありがたいことである。

どっかカフェ行ってコーヒーだけ飲んで帰ったらオマエなんやねんである。

コーヒーも神仏も「いただく」の姿勢。

お寺も神社も参らせていただいてるの姿勢は大事だよね。

あと、そのお寺や神社を維持するのに働いてくださっている人たちが必ずいらっしゃる。

お坊さんや神職の方たちだけでなく。

お掃除してくださる方も、お花や木の手入れをされてる方もいらっしゃるよね。

そこへの感謝の意味もあるよ。

例え人がいない神社でも、お社があれば手入れをなさっているどなたかはいるものだ。

金額はまあそんな気にしなくてもいいかとは思うが、少なくとも「お賽銭をあげる」じゃなくて感謝の意思表示としての姿勢で、というのは大切であろうね。

 

 

 

どのお寺や神社にいつ行くといいのかみたいなのもよく聞かれるが。

なんとなくサインがあるものだ。

なんかわかんないけどどうしてもあの神社が気になるとか、あのお寺に行かなきゃとか、あの神社の神様に呼ばれている気がするとか、そういったものに対して素直であればあるほど、神仏は強いご縁をくださるものである。

ご縁ができたかどうかはどうやって見分けるのかとも聞かれるなあ。

縁、そりゃ行けばできるさ。

アントニオ猪木みたいな感じになったな。

行けばできるさ、ありがとう!!!

ただ、やっぱ何度も行ってたり、昇殿参拝してたりするかどうかで縁の強さは変わるもんだね。

再び会社の例えで行くけども、会社でチラっとしか会わない部下と、ごはんをごちそうするとかで家に呼んだことのある部下じゃあそりゃかわいがり度が違うだろう。

変な例えになったけど、なんでも人間に置き換えたらわかるのだよ。

 

 

 

ああ、忘れてた、昇殿参拝。

自分は可能なところであればほぼ百パーで昇殿参拝をする。

ここまで書いたことで大体理由はわかると思うが、

お寺や神社とのご縁は自分で作るものだ。

受け身で待つものではない。

神仏をあなたの魂の上司として捉えるとわかりやすいかと思う。

よい仕事をするためによい上司との関係があるといいように、よい人生にはよい神仏との関係があるといいのだ。

 

 

ちなみに、自分はお寺や神社には行くし、お坊さんや神職の方たちにも大変お世話になっており深く感謝もしているが「宗教」に関してはまた別の立場をとっている。

基本、全ての人が目指すべきは「自分が神である」という事実を思い出すことであると思っているし、そこに向かうための宗教かどうかが判断の分かれ目というか、まあいいや、これについてはまた今度語ろう。

 

 

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