昨年、悪性リンパ腫である事がわかり、手術はハイリスクすぎて出来ず、抗がん剤でも効果が思ったほどでず、、、治療ではなく看取る方針へ
今年に入り、2月の半ば頃かな?在宅では困難な状態になり入院、、その後も頑張り生き続けた母でしたが、
4/28の明け方、ひっそりと息を引き取りました。
私の自宅から病院まで30分ー。病院のスタッフから一報をもらい、寝癖つけたまま車、爆走しましたが、最期にはギリギリで間に合わず。
でも、着いたとき、母の手や顔に触れるとまだ温かく、、
スタッフには、私がもう少し早く連絡していたら、、と謝られましたが、スタッフさんのせいではないよ、私も油断していたから、、、大丈夫ですって、その後、スタッフさんの計らいでエンゼルケア(母の身体を最後綺麗に拭き着物に着替え)一緒にさせてもらい、、
葬儀の方にお迎え来てもらって、病院を出る時に、いろんな思いが込み上げて来て、スタッフいるまえで、ちょっとだけ泣いてしまった。
母の病気が分かった時からいつか、こうなるのでは?と思っていたし、2月に入院し、先週くらいから、徐々に状態が悪くなってきているといわれ、毎日、毎日、母を見に行っては、今晩呼ばれるかもしれないと常に覚悟はしてきました。
だから大丈夫、私は泣かないと思ってました、
でもー
私、娘で看護師やのに、何やってたんやろなっていう思い、
それに母さんはまだ、65歳という若さで、なんでこんなに早く逝ってしまわなきゃいけないんだろう?なんでよりによってうちの母なんだろうっていう思い
コロナの関係(実話、今だから書くけど、母の入院した病院のスタッフからコロナ陽性者が出て、しばらく面会全面ストップ)で
思うように母に会いにいけず、何にもしてやれなかったな、でも私の分までスタッフが沢山、ケアしてくれた事に対しての感謝の思いとか、
血圧が下がっても、最後の最後までめちゃくちゃ頑張っていた母の姿とか、
でも最期にはギリギリ間に合わなず、親不孝な事をしてしまったこと、、私、その日の夕方も面会行ってたんです。で、母の状態見て、明日の朝もまた来るね、って来れるよねって思ってた。
看護師してて、今まで何人も見送ってたら、その経験が余計に邪魔だったなというか、油断してしまったんだよね。
義母(旦那は当直だった)にでも子供達をお願いするか、子供が寝静まってから病院戻ってたら良かったかな?なんて、、
もっと母の為にできた事あったんじゃないか?と
でも母に聞く事も、する事もできないんだ、いまさら何?そんな事を思っても、、、って思うけど
やっぱり泣けました。
院長はじめ、スタッフに沢山、お礼を言って、また落ち着いたら、改めてお礼にくると言い残し、葬儀を行う予定のホールへ。
それから朝まで待たされて、葬儀の打ち合わせ
もうここからがドタバタでした
哀しみに浸っている場合ではない、、んですね
今まで、葬儀には何度も列席してきた事があったけど、今度は来られる方へ。
隣にいるのは、話した事をものの数分で忘れてしまう、(老眼?なのか)目の悪いなんとも頼りがない父、
もうこの人絶対、将来認知症、せん妄に一番になって、看護師から
「娘さん、お父さん、またおかしくなってますから来て下さい」なんて呼び出されてしまうタイプの人やわ
他、兄妹もいますが、各自それぞれ超マイペース人、ドン引きっ感じ、、。
〜任せてられない〜
今回、亡くなってから自宅に帰ってくるまでずっと側にいて、色々体験させてもらったけど、、ひとが1人いなくなるってホンットに大変なんですね。
今回、コロナの事もあり、母方の親族は来られなかったり、お友達にも来てもらえず、ホント小さなお葬式でしたが、もともと個人まりして欲しいと誰にも知らせないで(ごめん、お母さん言っちゃたけど)母の希望だったので、これで良かったかな?とも思う。
子供達にも、ちゃんとお別れをさせれたし、、
出棺の準備の時に、子供達と書いた手紙や折り紙み、そして母が好きだった、パンやイチゴ、、
「お母さん、好きだったよね」と入れてたらまた泣けてきたけど、、。
無事に全ての事が終わり、子供達がいるので自宅に戻って、夕飯をしながら
おばあちゃん、、悲しいね。みんな泣いちゃったね。
でもおばあちゃんはこれから星になって、あんた達の事をずっと見守っていてくれるよ(これ、母から教わった)
お坊さんも話していたけど心の中に生き続ける事が出来るから、忘れちゃダメだよ。そして頑張って生き続けなきゃって、
リメンバーミーの映画見たよね?あれと同じだよって
神様とか、これからおばあちゃんがどうなっていくのか?とお坊さんの話を参考に話したら
次女はうんうん聞いてたけど
「えっ、神様なんていないし、それに修行だとかあちらの世界なんて、ただの空想、うそ話でしょ?」
なんて、長女。ホント、今時の子だわ
「お母さんは信じてるけどね」
困っていたら、隣で主人が
「色々な考え方があるからね宗派によっても違うし、お坊さんも色々話していたけどさ」と論破。
ふーんとかって話聞いてたけど、、。(笑)
夕飯終わり、主人と2人で色々話しました。
主人の家の家紋の話や、お寺さんとのお付き合いのこと、互助会の事、あと、知らせて欲しい方の連絡先や、どう見送って欲しいか?とか
お義父さん、母さんにちゃんと聞いとかなきゃいけないねって
あとね、一番困ったのが、かけて欲しい曲!!
お母さん、どんな曲が好きでしたか?って、
お母さん、あんまり曲を聞いてた記憶がない
結局、お任せしていたら「小田和正さん」のステキな曲でしたが。
私は娘のエレクトーンでオリジナル曲のかわいい曲で見送って欲しいな。
いつになるかわからんけど、また、データー録音しとこってなったわ(笑)
それと、子供達が困らないように、こうして欲しい、あぁして欲しいって、文面を何処かに残していた方が。準備していた方がいいとも
主人は、かけたい曲がいっぱいおありのようで
ねぇねのJOCの曲でしょ?、ゴダイゴと、後、洋楽とか?これもあれもと、一生懸命探しては聞いてたけどね。
そんな沢山かけれませんよ
そして、ちゃんと書いといてねっていう。
皆さんは、最期はどう過ごしたいですか?
何の曲を聞きたいですか?
なんて、最後にえっって質問ブチ込んでみました(笑)が、
たんぽぽは思っている以上に元気ですので、みなさん心配しないで下さいね。
いつもありがとうございます。