日本の紙幣から聖徳太子が消えてから、

本当に日本はおかしくなっている。


1万円札から聖徳太子が姿を消したのは、1984年11月のことである。

その後、1985年には、プラザホテルで行われた、プラザ合意において、

ちょうど、アメリカが、財政赤字、貿易赤字の双子の赤字に苦しめられていたころ、

日本は貿易黒字拡大により、莫大な収益を上げていたが、先進国から、高度消費社会へ移行することを迫られ、日本円の世界市場流出を制限された。


そこで、日本は大蔵省主導のもと、公共事業を頻発し、それに合わせて、住宅専門のローン会社、住専をつくり、

土建バブルの幕開けとなった。

これにより、公共事業の数が異常に増え、土建業比率が異常に高くなった、その裏で、ゼネコン、住宅メーカーが、急成長し、巨大化した。

このころから、核家族化が進み、地域性の崩壊、和の文化の崩壊へとつなっがったのである。


結果的にバブルははじけ、そのころには地域性の崩壊により、セーフティーネットは崩壊して、役に立たなくなってしまった。


ある種、偶然であろうか。しかし、偶然ではないような気がする。


人は、刺激欲求に支配される悲しい生き物である。

そのため、人は刺激欲求を理性でコントロールしないといけない。


行政のサービスがさっがって行きながらの税収アップは、構造上の欠陥であり、許される物ではないと考える。


巨大化した目に見えないピラミッドはより上のほうへ栄養を集中させるため、より多くの栄養を必要とする。


ダーウィンの進化論の観点から、環境変化に耐えるためには巨大化は逆行していると私は考える。

巨大化すればより多くの栄養が必要で、その結果、栄養を大量に消費していく。


これからの環境変化に対して、日本人同士の和に対する考え方を復活させるためにも、

福沢諭吉ではなく、聖徳太子に帰ってきてほしい。