【優勝に懸ける想い vol.32 #2 栗山由梨】


私が思う、23チームで最も人生をラクロスに捧げていたであろう、まなからバトンを受け取りました、#02 G 栗山由梨(ゆり)です。

 

23チームが始まるとき、まなから言われたことが私は今でも忘れられません。


「ラクロス以外のこと捨てて、持てる時間全てラクロスに費やすことにした。」


そう宣言した日から、まなは時間があればジムに行くし、ビデオ見しているし、

本当に全ての時間をラクロスのためだけに捧げてきていたと私は断言できます。

その結果、慶應のサーピーという役割を確立し、心から頼もしいチームメイトでした。


丸子ではいつもバナナ食べてて、プロテイン飲んでて、そんなにまでしてるのに暑いのに弱くてばてやすくてすぐダウンしてて、

真面目だけど面白いやつだなーっていう一面も見られる1年でした。


そして、まなから私が主将になるときに「ゆりはだれよりも誠実にラクロスをしている」と言われました。

そう言ってくれた一言が、今日まで私を主将として真っすぐに立たせてくれていました。

今まで一緒にやってこれてよかったと本当に心から思います。



さて、今日まで4年生でつないできたブログは私で最後を迎えます。

何書こうかなって考えてた時、「主将としてじゃなくて、ゆり個人のブログが読みたい」と言われました。

難しいなと思いながらも、23チームの一員としてありのままを書かせてもらおうと思います。


最後にふさわしい文章を書けているかわかりませんが、少々お付き合いいただけると幸いです。


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私は23チームのみんなにずっと謝りたかったことがあります。

それは、明治戦を含む最後の3試合、あるべき姿で試合に臨めていなかったことです。


明治戦2週間前:肋骨骨折

中央戦2週間前:左足首捻挫(去年のFINAL4前と同じところ)

中央戦1週間前:右足親指骨折


ゴーリーの役割で大事な指示出しで大きい声が張れないし、足のけがに至っては練習に行くのでも痛くて、1年の時から休んだことがほとんど無い練習を何度も休んでしまいました。

明治戦前の合宿は全て見学、その後の練習も怪我が続いて見学で、中央戦の前も調整メニューだけ何本か参加することしかできていませんでした。

試合はほぼぶっつけ本番で挑みました。


結果は予選敗退。明治戦は引き分けで中央戦は敗戦。

練習に出てなくて、万全な状態でない奴が試合に出たところで結果を出せるはずがないです。そんなの当たり前のことです。

それでも試合ではグラウンドに立ちました。

自覚と責任がなかったわけではありません。



でも、その慶應のゴールを守るに値する人物に、私はなれていなかったと思います。



だからゴールを任せてくれたチームのみんな、そして信じてすべての試合ほぼフル出場でグラウンドに立たせてくれた大久保さんに申し訳なく思ってます。

私は何もできていませんでした。


怪我をしたとき、

チームのみんなではなく、自分がケガしてよかったと思い、自分が全て背負うからみんなは怪我しないでほしいと願っていました。

これは半分本当で半分嘘です。


みんながケガをせずに試合を迎えられたことは安心しました。

そうみんなに言いながらも、自分自身に暗示をかけていたんだと思います。

1人になると、何で私がって涙する日がありました。

誰よりも真面目に、ラクロスに向き合ってきたという自信がありました。


絶対に試合に出られないわけではない怪我で、立つしかありませんでした。

神様ってひどいですね、だったら立てなくしてくれとも思いました。

何としても私にグラウンドに立てという使命だったのかもしれません。


でもそれでも大丈夫だっていう自信がどっかにありました。

きっとできるって思ってしまっていたんです。

それは自分が「慶應の1枚目のゴーリー」である自覚がそう思わせていたのかもしれません。


去年に遡ると、22チームには日本代表のゴーリーの先輩がいて、トップチームに上がった頃は私なんかは足元にも及びませんでした。

それでもその背中を毎日追いかけて、いつか超したい(結局FINAL4前に捻挫してその夢は叶えられませんでしたが)という思いで必死にラクロスを勉強して練習しました。

練習した甲斐もあって、去年はリーグ戦の半分のQを任せてもらえたり、先輩がケガしたときは1枚目で出てフルで出させてもらえるまで成長できました。


結果、今年に入って慶應の1枚目をだれにも譲ることなくここまできました。

今年は去年とは違い、当たり前のように試合に出て、4Q任せてもらえました。

それがゴーリー人生で誇らしいと思う反面で、今になってその状態に甘えていた自分がいたんじゃないかって思うんです。

なんとなく、慶應の1枚目でいられていることに飲まれてしまった私は、去年必死に先輩の背中を追いかけてもがいていたような、同じような向上心を忘れていたんだと気づかされました。


23チームのキックオフ時に大久保さんに言われた言葉が今になってわかります。

「22チームのゴーリー構図がない状態が生まれており、ゆり自身を脅かす存在がいない。ゴーリー全体を伸ばすことが必要である。1人でやるのは辛く、先頭を走るのは辛いことがある。早く走ってこいと後輩に背中を見させるようにする。これは意識の問題であるが、後輩に熱を持たせる必要がある。」



目標に向かって、向上心を持ってもがき、苦しみ、努力する。



これが人を成長させるのだなと実感しました。

成長できていなかったわけではないけれど、なるべき人になれていなかったと思います。




もう1つ、チームの成長のために必要なことが分かった出来事があります。

それはアメリカ遠征です。


アメリカの選手は体つきから私たちと異なっていて、挑んだとしてもやっぱり敵うはずがないんです。それぐらい強かった。

シュートタイミングが日本と違うし、シュートスピードが速すぎる。

そう思っていたとしても、何度も点を決められたとしても、


ああーラクロス楽しいー 


純粋に思いました。みんなも思ったはずです。

この気持ちは23チームになってからなかった感情だと振り返って思います。

心からラクロスが楽しいって思えたのは先輩の背中を追いかけてた日々以来でした。


このラクロスを楽しむ心は絶対に忘れてはいけないと思いました。

楽しくないわけではなかったし、4年生が1番楽しいって思っていたけど、がむしゃらに楽しむという本当の“楽しさ”とはかけ離れたものだったのかもしれません。

アメリカでは何度でも挑戦して立ち向かって、太刀打ちできないほどやられる。

でもどうにか頑張ろうって思えて、アメリカの選手を心からすげーって思えて。

試合中自然と笑ってました。そんくらい楽しかった。



だから後輩たちには、

ラクロスを楽しめるように、ラクロスをしてほしい。



去年日本一をとったことで、勝ちにこだわり過ぎてしまっていたのかもしれません。

こだわっていなかったとしても、見えなかったとしても、日本一というレッテルが全員の肩には張られてて、心の中で重りになってて苦しんでいたのかもしれません。


それを後輩にも課して、苦しませてしまったこともあったと思います。

必死さが、同期も含めて他チームに対してのあたりとして強くなってしまったこともあったと思います。


特にトップチームの4年生はそうだったと思います。

去年の先輩たちと自分たちを、そしてチームを自然と比べて、必死になり過ぎて怖くなって。

なにかが足りない、成長しなきゃいけないんだってずっと思っていて。


でも私は、本当にみんな頑張ってたと胸を張って言えます。

慶應のトップとしてあり続けるために、必死にもがいていたんだと思います。

特に幹部の2人には重圧だったと思います。

チームのことを考えて常に動いてくれてて、自分にかける時間が全くなかったと思います。

私自身、2人の想いに応えられていたかどうかわかりません。

でも2人のチームを思う気持ちを間近で見てきたからこそ、2人には感謝しかありません。




最後に、私は慶應のゴーリーになれてよかったです。

たった1人しかゴーリーとしてはグラウンドに立てないこと、

自分がセーブすれば勝利できるという重圧を背負いたい思いでなりました。


高校生の時にラクロスに出会い、ゴーリーを選択してから7年間、ゴーリーを辞めたいと思ったことは1度もありません。

時にはシュート当てられまくって、あざがいっぱいできてムカつくこともあったけど、慶應のゴールを背負えたことは人生の中で1番の誇りです。


アメリカ遠征の最終戦、4Qは4年生でメンバーを固めてもらえました。

4Qの後半で出場することになっていてベンチにいたのですが、ドローのセットがされている時点で涙が溢れて止まりませんでした。


やまながいて、ななこがいて、みもがいて

みねがドローで、サーピーにあいとまながいて

きょうかと、えりいと、らんと、ふぃあがいて

交代でみほ、ゆかり、とうこ、じぇーが入って


ああこれでみんなとラクロスするの最後なんだな、同じ景色二度と見れないんだなと思うと今までのこと全部思いだして泣けました。

その時に、気づきました。


チームメイト全員を見ることができることこそが、ゴーリーの醍醐味なのではないかと。


得点に直接絡むことできないけれど贅沢なポジションです。

このポジションを任せてもらえて本当に私は幸せ者です。

指示出ししてるときも涙が溢れて半分くらい視界がぼやけて見えてませんでした。

みんなの頑張ってる姿が見れるだけで、嬉しくて悲しくてずっと泣いてました。

だからやっぱりラクロスは、


ゴーリーは楽しい。


けれどもし、同じ人生を送るとするなら、私はプレイヤーになりたいです。

ゴーリーとしての心残りは、みんなと一緒になって考えられていなかったかもしれないことです。できたかもしれないけど。

全体を見れる立場だからこそ俯瞰的に物事を見てしまい、より内部の人間として関われていなかったかもしれません。

もっと同じ熱量で、同じ目線でグラウンドに立てていたかもしれません。

だから今度は、点を取らないと勝てないラクロスというスポーツで、みんなと一緒にシュートを決めて、ゴール前で高々とジャンプしたいです笑



慶應の最強ゴーリーズになろうねと誓った相棒とも、今年になって公式戦一緒のグラウンドに立てたこと、1年生からの夢が叶って心から嬉しかったです。

私は経験者で、つらい思いもしてきたと思うし、話せないこともたくさんあったと思うけど、それでもいつも自主練してて、でも自分だけ抜け出そうとせずにいつも特訓に誘ってくれて、助言を受け入れて修正してまた練習して。

私は相棒がいたからここまで頑張ってこれました。

1番近くで見てきたからこそ、誰よりも尊敬してます。



貴一さん、読んでるかわからないけれど、大学でもゴーリーを続けることを認めていただき、指導していただきありがとうございました。

1年の時はたくさん教わっていたけどだんだん減ってきて、でも変な道にそれていたら軌道修正してくれて、貴一さんの下で学んだからここまで来れました。

私は生粋の唯一?の貴一さん信者です笑

もっともっと貴一さんに教わりたかったし、ゴーリーやりたかったです。

アメリカ遠征最後の試合ラスト5分見て欲しかったな。

日本一のゴーリーになると1年の時に宣言したけど、日本一には到底及ばなかったけど、



私は慶應の守護神になれてましたか。



先日の準リーグ。

結果は得失点差で2位だったけれど、これからの慶應が見られたいい試合ばかりだったと思います。

頼もしい後輩ばかりだって感じました。

どんなチームに、どんな慶應になっていくのか、後輩たちの躍動に期待してます。


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最後になりましたが、

23チームを応援してくださった皆様、ご尽力くださった皆様に、この場をお借りして心より感謝申し上げます。

2年連続日本一の壁は高く、乗り越えられなかったのですが、これからも慶應女子ラクロス部を応援して下さると幸いです。



そして、歴代の名だたる主将と比べると主将らしい姿でチームを引っ張ることは出来なかったと思います。反省点は山ほどあります。

それでも、最後までついてきてくれたみんなに感謝しています。最高の1年でした。

「キャップ」にしてくれて本当にありがとう。



長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

私のラクロス人生を通して伝えたかったこと、すべて書いたつもりです。

拙い文章だったと思いますが、後輩たちが何か感じ取ってくれたら嬉しいです。



23チームたのしかった🥍

みんなのことが大好きです。