インド仏跡巡礼⑦ ルンビニ/アショカ王の石柱 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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マヤ堂の裏口を出て、時計回りに建物の西側へ回ると、そこに、
マウリヤ王朝三世のアショカ王が、建立した石柱が立ってる。


アショカ王は、前3世紀にインド亜大陸をほぼ統一した大王だが、
繰り返された戦の中で、10万人の捕虜を殺害したり、従わぬ兄弟
や大臣を全て虐殺するなど、残虐さを極めた暴君でもあった。

しかし後に王は、過去の行いを深く悔い、仏教に帰依することで、
武力を捨て“仏の教え”で国を治め、仏教を飛躍的に普及させた。

王は、釈尊ゆかりの地を巡礼し、遺構の修築をし、数多くの仏塔
を建立した。また、ブッダの教えを正しく伝えるために、長老の
仏弟子を千人集め、編集会議(第三回仏典結集)も行ったと、云う

王が巡礼した釈尊ゆかりの地には、石碑が建立された為、今では、
この石柱が発掘される事が、聖地だった事の「証」とされている。

石柱も昔は、全国で30本程、存在したらしいが、今は15本だけ。

そして今回の旅では、ここルンビニの石柱を始め、ヴァイシャリ、
サルナートなどで、見学ができることになっている。

眼前の石柱だが、高さ7.2M、直径1M程あり、煙突状に上が細い。

柱の上には馬の像が座っていたと、西遊記のモデルとなった玄奘
三蔵が、633年に訪れた時に記録しているが、今は何も無い。

石碑には碑文が彫られ、アショカ王が即位20年後に此処へ訪れた
こと、聖地なので租税が免除されたこと、など書かれている。

 

石柱は頑丈な鉄柵で守られ、柵の外では多くの仏教徒が集い、
熱心に、時間をかけた、礼拝が行われていた。

               ◆

アショカ王は、多くの伝道師を使い“仏の教え”を国内に広めた。
そして“仏の教えは、長い時をかけながら変化、発展を続け‥

やがて、インドから大山脈を越え、熱砂漠を進み、荒波を渡り、
上座部仏教、大乗仏教、密教と、夫々の祈りの形になって行く。

だが、アショカ王の時代から2300年の時空を超えた、今でも、
この聖地を訪れる、仏教徒の違いはあるとしても。

“仏の教え”に求む心は同じ、「武力でなく、心の平穏」であろう。


 

インド仏跡巡礼⑧へ、続く