インド仏跡巡礼⑱自燈明 法燈明 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

創業280年★京都の石屋イシモの伝言

◆京都の石屋 石茂 芳村石材店◆部録/石のセレナーデ
 京都 石のある風景/京都・石仏散歩/折々の京都
 京のヨモヤマ/京都のディテールなど徒然に。

釈尊(ブッダ)は、悟りを開いた後、四十五年もの歳月に亘って、
中インド各地を旅し、法を説き、教えを広めていった。

だが八十歳を迎え、身体の衰えを感じた釈尊(ブッダ)は、故郷の
カピタ城へ戻る為、長年、身の周りの世話をしてくれた愛弟子の
アーナンダと、数人の修行僧と共に「最後の旅」に出た。

 

修行地、霊鷲山を離れて、幾つかの村を尋ね説法をし、
ナーランダを過ぎ、ヴァイシャリーの辺りで、雨季にぶつかる。

インドの雨季は豪雨で河が溢れ、田畑が水没し移動ができない。

釈尊(ブッダ)達も一か所に留まり修行する 雨安居(うあんご)に
入ったが、旅の疲れか、釈尊(ブッダ)は重い病に倒れた。

いよいよ釈尊(ブッダ)は、自分の死が近い事を、修行僧達に語るが、
アーナンダは尊師亡き後、何を頼りにしたら良いか、酷く動揺する。

その時に、釈尊(ブッダ)が伝えた教えが‥

自燈明 法燈明 (じとうみょう ほうとうみょう) である。

               

自らを “灯り” とし、自らを頼りとして、他人を頼ることなく、
釈尊(ブッダ)の法を “灯り” とし、他の法に頼ることなく、
日々の修行に励めば、最高の境地が得れる。
と教え‥

今まで修行を積んできた自分と、釈尊(ブッダ)の教えを信じ、
他の人や他の教えに惑わされず、修行を続けるよう諭している。

“灯り”は、本来の意味は「島 」=「洲」の事を指していると、云う。
「洲」とは、河が増水しても残る、小さな陸地を意味している。

インドの河は、広大な平野を流れるものが多く、川幅が広い。
普通の川幅でも500M位、雨季には2km以上にも広がるようだ。
(ガンジス河に架かるマハトマ・ガンジー橋は幅5,575Mある)

 

手塚治虫の「ブッダ」の中で、釈尊(ブッダ)が胸の下まで、水に
浸かりながら、何日もかけて河を渡る場面が印象的だったが、
チビチャイ、京都の鴨川を基準にしとったら、エライことになる^^。

「島」=「洲」とは、河を渡る時に目指す目標であり、
一歩ずつ自分で目指さねば、辿りつけない到達点 (境地) でもある。

今までの自分を信じ、脇見をして目標を見失ったり、流されぬよう、
しっかりと習った、教え(法)に従い、歩み続けなさい。

と云う事と思うが、インド言語の「洲」には、もう一つ「灯り」と云う意味
もあり、むしろ宗教的には「灯り」と訳すほうが、違和感が無くて、

「自燈明 法燈明」 と云う、言葉になったようである。

 

釈尊(ブッダ)の入滅後、すぐに釈尊の教えをまとめる編集会議
「第一結集」が開かれたが、釈尊の教えを、最も多く伝えたのは、

長年、釈尊(ブッダ)の身の周りを世話して、最も多く教えを聞き
“多聞第一”と呼ばれた、十大弟子の一人、アーナンダであった。



インド仏跡巡礼⑲へ、続く