インド仏跡巡礼(21) 聖なる牛の洗礼 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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良く知られた事だが、インドでは、牛の肉は食べない。 

いや、正確に言えば、インドでは、牛は‥

インドの人口の80.5%を占めるヒンドゥー教徒が信仰する
シヴァ神の乗物として、神聖視され、食べないのである。

とは、云え、今や少数派の仏教徒(0.8%)や、ジャイナ教徒(0.4%)は、
不殺生の教えを守り、ベジタリアンなので、対象外だとしても、

イスラム教徒(13.4%)は、豚を不浄な動物として食べないが、
キリスト教徒(2.3%)と同じく、牛肉は食べるようなので、両者を合計
すれば、15.7%と、ある程度の牛肉需要はあるはずだが‥



兎にも、角にも。圧倒的多数のヒンドゥー教徒に合わせて、
インドでは牛の肉は食べない。が、基本形のようである。

確かに、今回の旅の間、三度三度、出た“三種の伽哩”は、
鶏肉、魚、野菜だし、マクドナルドのブッダガヤ店では、
チキン・マハラジャバーガーが、テイクアウトされていた。

最も市場の肉屋で確認した訳でなく、表面を撫ぜただけの
ツーリストだから、インドの食事情など分かっちゃないのだが‥

それにしてもインドでは、牛は人と共棲する特別な存在らしく、
田舎でも街中でも、ノラ牛が闊歩しているのには、驚いた。
日本のノラ猫や犬のように、平然と店先などで、居座っている。

聞くところでは、「あの牛」たちは帰巣(?)本能に優れ、
夜はちゃんと牛舎に、ご帰宅するので、ノラでは無いらしい。



ところで「あの牛」たちだが、インドには牛が二種類いる。
白っぽい色や、うす茶色の「コブ牛」と、黒い「水牛」である。

インドでは、牛にもカーストがあるのか、
白い「コブ牛」は、神様の乗物で神聖だから、殺生などしたら、
バラモンを殺したと同じように、重罪となるらしいが、

黒い「水牛」は悪魔の乗物として、殺生どころか食用に飼育し、
海外へ輸出もされていると云う。その数も、ナナント、170万トン。

インドにおける2013年の牛肉輸出量は、ブラジルを抜いて
堂々の世界1位。と、日経新聞(2013/5/28}が報じている。

元々、乳牛で飼われた「水牛」が、10歳過ぎると搾乳ができなくなり、
最後は食肉として、中東、アフリカ、東南アジアへ売られるようだ。



水牛の身になったら、かなりの矛盾も感じるが、そう云うことである。

              

さて、聖なる「コブ牛」だが、ただ神様の乗物と云うだけで、
また、色が白いからと、大切にされてきた訳では無いようだ。

「コブ牛」は、暑さだけでなく、病気や害虫への抵抗力が強く、
紀元前2500年頃から栄えていたインダス文明の時代から、
既に家畜として、人々の暮らしを支えていたようである。

力強い雄は、土地の開拓や運搬、畑仕事に役立ち、雌は牛乳や
乳製品を日々、与えてくれ、新たに子牛も産み育ててくれた。

主たる労働力は雄が、食と労働力の再生産は雌が担ってきたのだ。

そんな貴重な、牛を食べてしまっては、人間の生活基盤を喪失させる
事でもあり、大切に保護されてきたのかも知れない。



そう云えば、6年間の苦行で死の渕にいた釈尊(ブッダ)を救い、悟りを
開けるように、体と心をリセットさせた、スジャータの乳粥にも、
たぶん、聖なる「コブ牛」の乳が、使われたのでは無いだろうか‥。

ところで、インドでは、牛の活用方法としては、あまり日本人には、
馴染みがない“牛の生産物”が使われ、今も暮らしに役立っている。

それは、簡易な固形燃料となる、牛の糞(fun)である。

落ちているfunを集め、ワラを適量ブレンドして、壁に貼り付け乾燥
させるのだが、着火しやすく、火持ちの良い燃料になるようだ。
何よりも、ローコストでエコな燃料である。

原爆と共に、多くの原子力発電所を有するインドが、今も日常生活で
牛のfunを大活用しているのだから、本当に不思議な国である。

走るバスの中からも、数多くの建物の壁に、たっぷりと貼られた、
平たい円盤状した、牛のfunデコレーションが見られた。

この聖なる牛より出でたるfunも、野原に落ちているだけなら、
ただの「牛の糞」である。直径18cm程の潰れたアンパン型の。



インドには、多くのノラ牛が、田舎も街中も闊歩している。
故に、アッチャ、コッチャに“聖なる落し物”も存在してる。

インドでは、車移動のトイレ休憩は、道路脇の野原が当たり前だが、
その時、不覚にも私は“聖なる落し物”を、funでしまったのである。

それも、二回も。 聖なる牛の洗礼を受けている。ア~、Engatyo。

足の裏に違和感を覚え、思わず、対象物を凝視して観察すると、
一瞬、目を疑うような不思議な、fun現象が起った。それも、二回とも。

fun現象による、未知との遭遇は、神々しさもあり、目に焼きついてる。
あの動きは、一体、何だったんだろう(?) と、今も首をかしげる、

この感動を細かく伝えたい、気持ちもあるが、まぁ、やめときましょ。

お食事中の方も、いらっしゃるかも、知れませんしね^^


インド仏跡巡礼(22)へ、続く


※インドの人口対各教徒の比率は2001年国勢調査より