インド仏跡巡礼(28)ブッダガヤへの道 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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◆京都の石屋 石茂 芳村石材店◆部録/石のセレナーデ
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「ナーランダ大学」からブッダガヤまでは、約80kmの行程だ。

ずうっと悪路を長い距離、走り続けてきたので、何だそれ位かと、
安堵している。そう言えば、昨日からあまり仮眠をすることなく、
揺られていて、ポンコツな思考回路がさらにマヒしているようだ。

少しでも休もうと、瞼を閉じるが、ヘンに頭が冴えて寝れない。

周りでは静かな寝息も聞こえ始め、羨ましさを感じながら、
ボンヤリと、外の明るい青空の下に、流れる景色を見つめている。

デザイン学校の頃、徹夜で課題を作り、そのまま授業に出て、
講義も聞かず、ボーっと見ていた、四角い空の色が想い出される。

近頃、昔の風景が想い起されるのは、やはり歳のせいかな?

などと思ううちに、空の青に、緑や茶色がブレンドされて、
やがて、優しい、まどろみが訪れてきた。

                    

我々を乗せたバスは、雲ひとつない青空の下を、ただひたすら、
ブッダガヤ、ブッダガヤへと向かって、走り続けている。

途中、交差する道路や分かれ道など、ほとんど見えない。
地面に棒で真直ぐな線を引いたように、道は続いている。

 

ホテルを出て直に、“古代の轍”と云う、遺跡を見た後は、
車はずうっと走りっぱなし。考えてみると、我々より、
運転手のほうが、何10倍も大変なはずである。

昨日の朝からほとんど寝ずに、悪路と睡魔と、異常な
運転マナーの車達と、闘いながら運転してきたのだ。

初日に空港で、今回のツアースタッフを紹介された時は、
運転には男性が二人つくように、思われた。

だが実は、運転手は一人。もう一人は荷物を運んだり、
バスの昇降口に、踏み台を置いたりする手伝い役だった。

                         

インドは、今も身分差別の強いカースト制度が残っている。
それを前提に、働ける職業も決められてしまう。

身分が低い人々には、人の嫌がるキツイ、汚い、危険な仕事。
特に手足を使う仕事があてがわられ、代々、受け継がれた。

死体や汚物処理だけでなく、日本では考えられないが、コック、
大工、理容師、運転手も下層クラスの仕事とされているようだ。

我が、石屋も、間違いなく、同じクラスだろう…

インド社会の暗部については、ネットでも多くの事が書かれ、
驚く内容も多いが、ただインドの観光地を巡っただけの者が、
表層だけを見て語れる事ではなく、避けたい。

 

だが、この運転手には、自分の任務に対する強い責任感と、
職業人としてのプライドがあることは、しっかりと感じられた。

乗客の見学中や食事中に、後部座席で束の間、横になり、
時間になると、にこやかな笑顔で起きて、また運転する。

相当に疲労しているはずだが、それを感じさせない。

当時、日本では、深夜バスが、運転手の居眠り運転の為、
悲惨な追突事故が起きたばかりなので、肝はヒヤヒヤだ。

そんな乗客の思いとは別に、バスは軽快に目的地へと進む。

                         

万里の長城のような高い、石垣の築かれた山を後にして、

 

パラパラと痩せた牛が草を食む、放牧の風景を横目に、
幾つも丸々とした巨石が、意味無く(?)積まれた草地を越え、



屋根に人をのせてバスが、疾走するアスファルトを滑り、
大きな夕陽が、高木にシルエットをあたえた、野を駆ける。

 

やがて、バスは賑やかな街の灯りと喧騒に迎えられて、
ブッダガヤへ。今まで見てきた場所とは、うって変わり
人と車と、光と音の溢れた、釈尊(ブッダ)の聖地へ着いた。

バスが止まり、エンジンを落とし、振り向いた運転手に、
誰もが惜しみない、感謝と慰労の拍手を送った。

                         

さ、明日はいよいよ、釈尊(ブッダ)の悟りの聖地、ブッダガヤ。
世界遺産「マハーボディ寺院」の見学である。


インド仏跡巡礼(29)へ、続く