とあるニュースを見て
この前、研究テーマとして取り組んだ
【言霊】について、改めて考えた。

言葉って、本当にこわい。

無文字社会だった古代日本においては
人は言葉の中に宿る霊力を恐れて
めったなことは口にしなかった。

声を通さない言葉は
受け取り手の状態により破壊力を増してしまう。

痛みを感じない擬似的な文字だからと
軽い気持ちで誰かに向けて
個人の鬱積を表現してしまったら。
それがSNSに乗って本人に届いてしまったら。


本来、一番最初に、「想い」がある。

それを相手に伝えるとき、
感情や、距離感や、伝える責任が、
「目」や「声」や「言葉」の中に有機的に籠もる。

言葉自体は、思いや意志を伝えるための、
ただの「記号」だ。
ほんの一部分しか表すことのできない
不完全な媒体なのだ。

言葉を紡ぐ本人の全身の気配が伴って初めて、 
その媒体は正確に機能を果たす。
人は無意識に、言葉を超えた"気配"や、"エネルギー"で交流している。

でもその"気配"は、実はものすごい情報量であり
「言葉」という媒体では矮小すぎて到底表現できない。

SNSが全盛になり、本人同士が目の前にいなくてもやりとりできるようになって
言葉という記号が独り歩きしている今。

その記号を受け取った人間は、
自分のなかでその言葉に力を与え、
増幅させてしまう。

そのとき「言葉」が、
呪力を持った「言霊」に変わる。

だから、体温が感じられない、
どう受け取られるか責任を持てない「言葉」という「記号」に、軽々しく悪意を載せて送ってはいけないのだ。

インド哲学における「ブラフマン」という言葉は「宇宙の根本原理」であると共に、

「言葉の実現力・言葉に内在する神秘力」も意味する。


どんなに科学が発達しても、地震や災害は予知もコントロールも出来ない。
ただ「言葉」は、意識してコントロールできる畏怖すべきツールである。 

最近の脳化学の学説の中には
「脳は主語を理解せず、感情を受け取って実現する」という説もある。
人に悪意を向ければ、その破壊的な言葉を自分の目で見、耳で聞く。 

「口にしたら本当になる」とは結局のところ、
自他関係なく、人間の潜在エネルギーを解放するスイッチである。だから古来より言われ続けたことわざがあるのかもしれない。
「人を呪わば穴二つ」と。

言葉は自分にも他人にも影響を与える。

SNSが最盛期な今だからこそ、
災害にも福音にもなり得る「言葉」のもつ威力を充分に理解し、
古代人のように自分も他人も幸せにし、希望の未来を予祝する美しい「言霊」を、選択していきたいものである。