音を追及することを選んだ理由 | 岩崎 結~ピアノ、歌、音楽、心の浄化のこと

岩崎 結~ピアノ、歌、音楽、心の浄化のこと

普段の音楽生活を通して見えたこと、感じたことを書いています。

なんで音を追及していくことを私は選んだんだろう。


(ここでは声のことで書いてみたいと思います。
ピアノは、楽器に慣れてさえいれば、勝手に指が動いて弾けてしまうから、気付きにくいので、、)


より良い声を出したいと思ったときに、そこにはいろいろなやり方がある。


例えば

のどを開ける
胸を開く
重心をおろす
上に引っ張る
下に引っ張る
後ろを開ける

とかはよく言われる声楽のテクニックで、このひとつひとつは実際に体感してみると、本当に声が出やすくなる。

でも、これって、不思議と時によって出来るときと出来ないときがある。



身体を開ければ声が出ることはわかっているのに開かない

重心をおろせば声が出ることはわかっているのに降りない

それでも、こつこつと練習を続けると、どんな時もある程度は開くようになるし、ある程度は降りるようになるんだ


ある程度はね



結局は、ダメなときは開ききらないし降りきらないんだ。


と思ったらいつでもどんなときでもできちゃう人もいる。


この違いはね



今自分のなかにもやもやしたものがあるかないか

今自分は何かに我慢をしているかいないか


ここだと思うのです。

今何かにもやもやしているのなら、もしくは何かに我慢をしているのなら、どんなに基本に忠実にテクニックを磨いても、必ず限界が
きます。それでもテクニックを磨くことが無駄とは言わないけれども。でも確実に遠回りをします。


こんな小さいことくらい我慢しよう

自分さえ我慢すればいいんだ

みんなこれくらいのこと我慢してるんだから自分も我慢しよう


この蓄積が、いかに自分の身体を固めているのか。

小さい我慢、小さい我慢が

首や胸や背中やみぞおちやお腹の奥の

筋繊維1本ずつ、1本ずつ

確実に固くしていく。


日頃音の響きというものを追及していくと、ここに気づかないではいられない。


脈々と受け継がれてきた、真面目で我慢強い日本人文化ですが、

もういい加減、周りのご機嫌のために自分の身体を差し出す習慣は終わらせなければね。

我慢するのをやめたとき
自分の中のもやもやを取り除いたとき

信じられないくらい、身体中の細胞がふわーっとゆるんで広がって


さっきのテクニックのことなんかほとんど考えなくても声が出るようになるよ。

そこに気づくために、音の世界を選んだんだと思う。


そして気づいてしまったらもう、

我慢ができなくなる


そして、必ず、わがままだの、自分のことしか考えてないだの、そういった批判を浴びることになる。

そこまできたらもう、一流まですぐ近く!


それでも自分のやり方を貫くことで、たくさんの方々がこぞって支援をしてくださるようになります。


というのが実際私が感じてきたこと。



意外と、我慢することが習慣化してしまって、そこに苦痛や疑問すら感じない人は、私だけじゃなかったりしたので、こんなことをかいてみた次第です。


特に女性のほうがこの罠にはまりやすい気がします。女性の方が我慢しなきゃならないことが格段に多いから…

女性だからとか母親だからとか嫁だからとかね

もちろん、男性だって、いろいろあるとは思うけど、こうゆう罠にはまって筋繊維ががちがちに固まってしまうケースを男性で私はまだ見たことがないので。

そうゆう心理面のことがそこまで身体に影響しない構造になっているんだろうな。

もちろん人によりますけどね(^^)


なので、女性にはまず自分で自分を何よりも一番大事にしてほしい。家族よりも旦那よりも子供よりも。

自分のやりたいことを優先していいんだよ。
最近、本当にまじでそう思う。


あら、話が脱線しちゃったわ笑






読んでいただきありがとうございます🎶