強い人間と弱い人間 | 岩崎 結~ピアノ、歌、音楽、心の浄化のこと

岩崎 結~ピアノ、歌、音楽、心の浄化のこと

普段の音楽生活を通して見えたこと、感じたことを書いています。

またまた久しぶりの投稿です!


実は、今ある目標に向けて邁進中で、ブログはサボっていました(^^;
はっと思うことがあっても、それを言葉にする暇もなく次の流れが来てしまうから。


その目標というのは・・情報解禁まであともう少しお待ちください♪


でもせっかくの休みで余裕ができて、めずらしく言葉がたくさん浮かんできたので、ちょっと書いてみました。


強い人間と弱い人間の話。

私がこのことを書けるのは、ようやく、強いとか弱いとかいう次元を越えられたからだと思うのです。


強い人間は、それが当たり前になってしまっているので、自分が強い人間だとは気付かない。

弱い人間は、全ては自分が悪いからいけないんだ、と思うことが当たり前になってしまっているので、自分が弱い人間(自分の感覚をあっさり他人に明け渡してしまう人)であることに気付かない。


強い人間は、自分の思い通りに動いてくれる人間を無意識に欲するので、弱い人間に対する嗅覚が半端ない。


弱い人間は、根本的に自己肯定感が薄く、自分の意志に関係なく周りの流れに流されるので、寄ってきた強い人間の言う通りに行動するようになる。


強い人間は、弱い人間と逆で、自分が悪いという発想になかなか行き着きにくいから、なにかトラブルがあって、強い人間の方が悪いときでも、自分のせいではなく、他人のせいと言い張ることができる。

弱い人間は、もともと自己肯定感が薄いので、自分が悪くないときでも、お前が悪いと言われると、そうなのか、と素直に受け取ってしまう。


こうして、強い人間と弱い人間の服従関係成立。


強い人間は自分の欲求が満たされているので、この現状に満足する。

弱い人間は、なんだか苦しい。でも苦しみの原因がわからない。全て自分が悪いとおもっているから、こんなに苦しいのは自分がどんくさいせいだとますます自己否定を強める。


ある日弱い人間は、限界がきて、強い人間と離れようとする。


服従関係が心地よい強い人間は、離れていきそうになる弱い人間を必死で引き止める。なんて冷たい人間だ!って


弱い人間は人がいいので、そうゆうこと言われるとたじろいで離れられない。
強い人間に思いきって思ってることを伝えても、相手は自分の非を認めることはできないので、あまり効果がない。


弱い人間にできることはただひとつ。

自己否定をやめること。
自分の価値のすばらしさを認めること。
自分を一番大事にすること。

そうすると全てが動き出す。


でね、こう書くと強い人間がめっちゃやなやつに見えるんだけど、

実は弱い人間ととても共通している部分があって、それは、

自分で自分の価値を認められないこと。


一見とても華やかで、よく気が使える人だったりする。常識人だったり、人脈が多かったり、賞賛される立場や、人の上に立つ立場の人間だったりする。

でもそれは、なんの価値もない(と思い込んでる)自分に少しでも値打ちがつくように、ぺたぺたとあとでくっつけたもの。それでなんとか自分の精神状態を保っている。こっちもまあいろいろ大変だ。本人はなにも気付いてないけどね。


自己肯定感の欠如から始まって、自分を傷つける方に行くか(弱い人間)、他人傷つける方に行くか(強い人間)、というのは、大体親の性格に似るものだと思います。


ちなみに私は、弱い方だったんですよね。もうそんなめんどくさいことはやめちゃったけどね、わははは


ただ、なかなかやめられないのもわかる。
自分のすばらしさを認めるなんてなかなかできないもんだ。自己否定してるならなおさら。

でも、いったん降りて、強いも弱いもない世界に行ってしまえば、強い人間とも弱い人間ともうまくやっていけるし、包み込んであげることすらできるようになる。


私は降りたよ!!\(^^)/




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