養生訓と東洋医学と倫理観 | ながおりょうじゅんのブログ

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心理カウンセラー、占い、仏教など神仏の教えを学びながら、自身の人生の苦を少しでも減らして安穏に過ごして生きるにはどうしたら良いのか・・・を追求してます。



今日は近所の憩いの家で、健康についてのセミナーがあったので、見に行ってきました。
公益社団法人のセミナーなので無料で最新のお話が聞けるというのはとてもありがたい。

養生訓というのは貝原益軒という江戸時代の儒学者が80代の頃に書いた健康書で、その内容がとても良く、多くの人々に読まれていたそうです。


この貝原益軒という人は、自分自身が病弱であったので、自分自身のためにコツコツと行ってきた学びと実践で悟った事を記しているのですが、心・体・倫理それぞれ書いてるんですね。

健康というと、心だけ、身体だけと1つに絞ったものが多いですが、何事もトータルで取り組まないと偏った健康法になってしまいます。
偏った健康法は一人一人の細かな差は考慮してませんから、健康的になる人と不健康になる人との差を生み出してしまいます。

この世に存在するすべての格差は全体を見ずに一部に偏ってきた結果ですからね。
改善していくには全体を見て活動する力が必要です。


さて、自分の親も介護支援を受けていますが、現代は地域包括センターというところがケアを行い、介護者自身がより良い生活を行えるようにサポートしています。
今日聞いてたら、子どもや子育てについてのケアもしているそうですね。

健康は毎日の生活習慣がモノを言います。
医療が進歩したり、科学が便利で快適な物を作る事ができても、一人一人がそれを自分自身に使って健康を維持していこうと鍛練を積まねば病になってしまいます。

なるほどと思ったのは
「鍛練の鍛は3年、練は10年続ける事」という話でした。
3年間、自分自身の生活習慣を見直していくと、かなり改善していくはずです。
それは心も身体も倫理も含めた全体の生活習慣です。
食事とか規則正しい生活とかって一部分ではなく、生きる事そのものの生活習慣を見直す事なので、一人一人絶対違うはずなのです。

養生訓はその辺りを網羅していて、江戸時代と現代とでは変わった部分もありますけど、参考にすべき一冊でしょう。


健康は自然に維持されてるものではなく、目を向けてやって初めて維持されるものです。
子どもの頃は誰かにしてもらいましたが、大人になったら自分でしなければなりません。
自分でするから、子どもや他人に自分で自分の生活習慣を整える大切さを伝えられるわけで、やってないと伝えることもできないし、医者や一部の情報に洗脳されてしまいます。

老病死は必ず誰もが通る道ですが、どう通って行くかは自分の生活習慣次第です。

僕も生来病弱ですし、他の人と違うところがたくさんあって、悩み苦しみましたが、自分で自分の健康生活習慣に取り組んできたので、今は悩み苦しむ事がほとんど無くなりました。

誰しもが生きることに一生懸命に取り組みます。しかし一生懸命取り組むが故に偏ってしまって、逆に生きることを脅かしている結果を生み出している事に気づかねばなりません。

頑張るところを間違えてないか、今一度見直してみましょう~(*^^*)


ご興味が出た人は養生訓を読んでみてくださいねヽ(´ー` )ノ 図書館にあるかもしれません。
なかったら予約すれば取り寄せてくれますよ。



「健康法の第一は、身体を損なう原因をはぶくことにある。その原因は身体の内にあるものと、外から入ってくるものがある。
身体の内にあるものは、自分自身の欲望を抑えられないことによるものがある。
外から入ってくるものは、環境によるものである。
自分の欲望のまま生活しない事や、環境の変化に対して常に注意していれば、健康で元気に暮らせ、病気にかかる事もなく寿命をまっとうできる。」
巻第一 総論上 4 内なる欲望と外なる邪気より