カウンセリングと仏教の研修会に行って来ました。寺は法話と交流の場を設けていける様、期待したい | ながおりょうじゅんのブログ

ながおりょうじゅんのブログ

心理カウンセラー、占い、仏教など神仏の教えを学びながら、自身の人生の苦を少しでも減らして安穏に過ごして生きるにはどうしたら良いのか・・・を追求してます。



昨日は浄土真宗のお寺・北御堂で精神科医の名越康文さんを迎えてのセミナーに行って来ました。

レポートじゃないので、学んだ感想が主です。
あしからず。
内容は「現代社会において引きこもりや不登校、社会不適応者、対人関係を主とした生きづらさを抱えている方からの身の上相談に、どのように対応していけばよいか。」
ということで、最近では引きこもりが犯罪者予備軍とレッテルを貼る報道によって、真実を知らない人々に引きこもりはそういう人なのだと良くない印象がついてしまいました。

ちなみに引きこもりっていうのは、家族とだけとか、家族とすらもほとんど接する事ができない状態にある方々なので、外に出て知らない誰かに危害を加えるなんて非常に稀なのです。

最近の報道は目立ってなんぼ、盛り上がってなんぼ、面白くてなんぼってくらい意図的に誇張したり、誘導したり、煽ったり、作ったりしますからね。
専門家に取材したって内容も、あたかも専門家がそのように言ったとして、実際と全く違う内容に変えて出したりもします。
たまにTwitterで取材を受けた方がお怒りの言葉を述べてますけど、絶対に鵜呑みにしてはならないという現象が起きてて悲しい限りです。

民主主義とか自由とかっていう魅力も、所詮それを扱う人間の心次第ですね。


さて、カウンセリングと仏教。

僕もカウンセラーであり、仏教や占いを融合していますが、なぜそうするのか・・・

名越氏は精神科医なので、日本の精神科のあり方が99%薬物療法であると知っています。

薬物の力で社会適応に戻そうとするので、眠れないなら睡眠薬だし、不安や焦りなら精神安定剤や抗不安薬といった処方をしていく。

残り1%が話を聴く部分ですが、人間ってそこにある内容が不眠や不安や焦りなどの不調の源なんですね。
しかし、そこに取り組もうとすると、精神科で学んできた事では難しい。
カウンセリングの技術や技法にも限界がある。
そういうことに気がつくわけです。

大体2週間に1回来院する患者さんの話について、取り組もうと次回までに調べたとしても、その頃には患者さんの中で解決していたり、違う話の方が大事になってたりと、コロコロと変わるわけです。
そういう状態に対応していると振り回されるし、疲れてしまうわけですね。

医者でなくても対人関係でもありますよね?

また、さみしいとか、虚しいとか、不安とかいった沸き上がってくる問題も同じく、誰かや何かがあれば一時的に忘れれるとかスッキリするとか解消されるものも、それがなければまた問題が復活します。

こういう事に対応できるのが仏教や宗教なんですね。

心理学はヨーロッパでできたものですが、人々の教育環境の中にキリスト教などの信仰や学びがあるので、カウンセリングで無理な問題はそこが道しるべとなってくれるわけです。

しかし、日本は戦後から教育環境の中に宗教を外していく政策が取られ、今では参拝や墓参りなどは形式的にイベント感覚で行うものの、教えを学ぶ人については2割くらい、3割あればいいという状態です。

なので、自分の人生についての道しるべがないので、誰かがいなければ自分の人生を安定させることができなくなってしまう人は、同時に誰かがいることで自分の人生が不安定になるという人を生み出し、お互いに原因が自分の内側ではなく、外側に求めて苦しみにさ迷ってしまう事が起こります。


歴史的に省みると、宗教を間違った解釈で学び、それを外に表現した時と、宗教ベースが人々の中に無くなる時は、必ず国が衰退したり滅亡に向かっている現象が起こっています。
そもそも、文明や社会というのは哲学・宗教をベースにして物質化していますから、ベースがなくなればそれ以降のものが存在できなくなるのは自然の理なんですね。

人間が築いたものが変化変容するのは、それを築く人間一人一人の心の中が変化変容するからです。
宗教というのは、ただ祈ることではなく、教えを通して自己の事を知り、養い、よい行いのさじ加減を表現して世の中を築く一人になる道しるべです。


日本は宗教の代わりにお母さん宗教の信仰者が多いって言ってましたが、確かにそうかもしれません。

特に今はいつまでもお母さんを行い続けている人も多いので、お母さんになるのが怖いとか、お母さんがいなきゃ子育てできないとか、できるお母さんに育てられた子どもなら、そのようなお母さんにならねばならないとか、自分を知らないまま、理想のお母さんを演じようと努力してしまうのです。

宗教は宗教でもお母さん宗教には、自己の事を知って養って、よい行いのさじ加減を行う教えはありません。

だから子どもが巣だつと生きがいを失ったり、さみしさを埋める方法を知らなかったり、逆に子どもを巣立たないように成長を阻害したりするようになります。


僕も自分自身が自分自身の問題に取り組んで行った時に、カウンセリングの学びや一般論では解決しないとわかって、模索した結果、仏教に行き着いたわけですけど、仏教オンリーじゃなくて他の宗教も見て回った結果、本質は同じ事を言ってるけど、明確にどうすればいいか具体的に書いてるのは仏教であったということで、学び続けています。


そういえば
「健康に定義はない」って言ってましたが、確かにテレビとかネットの記事とか、誰かがコラム書いてるとか読んだり見たりして、それらはコロコロ変わる定義のないものだと思いますね。

それは何故かというと、自分の体質は他の人の体質と同じではないので、比較的多くの人と同じ生活習慣でいられるならばいいけど、そうじゃない人がいて当然なのです。

何が自分にとって健康を維持する方法かは、自分にしかわからないし、それもずっと同じ方法で通用するわけではないからね。
遺伝の影響もあるけど、大半が自分に合った生活習慣を取り入れず、大多数の一般論の生活習慣に従っていたり、それすら従わないでいたりする事の積み重ねです。

日本はそれを説明しない。
説明できるほど学んで実践して理解してる人が少ないというのが現実かなと思います。



質疑応答ではいい質問がありました。
何点か書きます。

①寄り添うとはどういうこと?
主観を入れないで人の話を聴くこと。
愛情を持ち出すと、素直に相手の話が聞けなくなってしまうから。
親子、恋人、夫婦など人間関係の愛情問題も愛を先に問うからケンカになる。
また、不満を聴くと人のせいにする愚痴になるので、問題は解決しないから聞かない方がいい。

質疑応答じゃないですが、家庭内暴力も話を聴いたり相手の要求に応じたりすることで解決はしません。
毅然とした態度で応じるか、然るべき機関へ相談して、身を守る関わり方をしないといけません。

②精神的に不安定な人が安定するには
前髪を垂らす、寝る前に自分が金色に包まれているとイメージして瞑想する。

③すぐ怒る人についてどう接したら
自分の心の中に、湖に漂ってるイメージをして、おさまるまで待つ。

④言葉の暴力に対して
対抗する言葉を言うとケンカになるので、毅然とした態度で、相手が自分の事を思ってるのはわかるけど、その言葉はとても傷つく(辛いなど)からやめてくださいとお願いする。

⑤自分が失敗したりして罪悪感に苛まれた時
仏に任せる。くよくよしても解決しない。

⑥さみしさを無くすには
信仰を持つ。

⑦身体の病について
西洋医学は即効性あるが、人間はどこか弱いところがあるので、東洋医学の方へ相談して生活習慣なども含め養生する知識を持つこと。

⑧親子関係の対立
月に1回でもカウンセリングを受ける。
親子同士で相性がほんとに悪い場合があり、その時は解決をはかろうとお互いに関わると余計にこじれるので、気づかせることはできないと思って、今日1日楽しく過ごそうと自分自身の過ごし方を改める(相手に関わる頻度を少なくする)
関わるにしても、よい感心をちょっと伝える程度にする(皮肉の感心にしてはいけない!)


ともあれ、仏法を学ぶとより具体的に自分がどうあるべきかを学び、養っていくことができるので、苦しみから離れて幸せになりたいならば仏教を取り入れる方がオススメです。

何故なら、あらゆるできごとは色んな形や表現でコロコロと変わってやってくるので、1ケースずつの対応策をマスターするより、本質を学んでいく方が、臨機応変に対応できるようになるからです。


セミナーの中で、龍樹の菩提心論と3句の法門の話がちょっとありましたね。
仏教入門書は本屋へ行くとたくさん出てますから、読みやすいなと感じた本を読んでみてください。
理解しにくいところもあると思いますが、自分の理解できるところからスタートして、三行でも一行でも読み進めていくと、ある時突然ハッと気づいたりしますよ。
僧侶に質問するのもいいですが、全員がしっかり答えられるとは思わないようにしてくださいね。

僕はずっと前から寺子屋をして仏法を学ぶ事や、茶を飲み、談話して帰る場を作りたいって協力者を求めてましたけど、各地の寺がそういう場を設けていくように動いてくれるといいなぁ。そしたら僕も何かお役に立てる事ができると思う。ずっと活用してきたからね。


ともあれ、引き続き励みます。