先日grannoteにて、「山物語を紡ぐ人びと」の僕の回の続編が公開されました。


続編では佐久長聖高校の駅伝部の同期である、両角駿から見た高校時代のことや、僕のことが語られています。

せっかくなのでこの機に高校時代のことを振り返ろうと思います。


僕たちが入学する前の年、佐久長聖高校駅伝部は日本高校最高記録で全国高校駅伝(都大路)を初めて制覇しました。
この記録について説明するとそれだけで長文になってしまいますし、当事者でもないので割愛。

都大路は12月の第3週目に開催されるのですが、年が明けた1月、都道府県対抗男子駅伝というのが開催されます。一般(大学生以上)2区間、高校生3区間、中学生2区間の7人で襷を繋ぐ全国大会です。
佐久長聖が優勝した年、この大会に中学生区間を走らせていただき、長野県チームは大会新記録でV5(当時)を達成。
この話も長くなるので割愛。

僕も偉大な先輩方のように速くなれるかなと希望を膨らませて入学。
しかし待っていたのは走れない日々。
入学直前に怪我をしてうまくスタートを切れず。
治ってはまた別のところを怪我しての繰り返し。
結局3年間のうちの2/3以上、別メニューで練習していた。
1500m、3000mにおいては中学の頃の記録も更新できず、
5000mにいたっては16'01"。1年生よりも遅かった。

そんな僕が1年次で学年責任者、2年次に副キャプテン、3年次にはキャプテンを務めました。
佐久長聖高校駅伝部は人間力を大切にしていたので、練習以上に日頃の生活面など、一見して競技とは関係なさそうなことを厳しく指導されました。
もちろん先生から指摘されることもありますが、基本的には部員同士で気づき、注意しあっていました。
練習でチームを引っ張れない分、日頃の生活面に関しては人一倍きっちりやっていたと思います。
実力のないキャプテンとして、チーム力を高めるために僕にできることは、部員の人間力を高めるために沢山のことに気づき伝えること。

これ書いてるうち反省することばかりだな。
伝えるとかオブラートに包んで書いたけど、実際はキツイ口調で注意してばかりでした。
速くもないのにガミガミ注意ばかりしやがって。
そう思われていたかもしれません。
そりゃチームはついてこないわな。
卒業してから後輩と飲みに行ったとき、
「上田先輩、怖すぎでしたもん…」
と言われる始末。
ただ、卒業してから怒ることは全くと言っていいほどなくなったな。

高校時代、いい思い出はほとんどなかったけど、かけがえのない時間だった。
あの3年間があったから今の僕がいる。
けれどもう一度やり直したいとは思わない。
だってそしたらこの世界と出会えていなかったから。
でももし将来自分の子供が男の子で、長距離の道を極めたいと思うのであれば、間違いなく佐久長聖を勧める。


話は変わりますが、高校時代に僕がその後早稲田大学陸上競技同好会に入るキッカケをくれた人に出会いました。
それは駅伝部OBである有賀健先輩。
有賀先輩が筑波大学大学院生だったときに合宿に参加してくださったことがあり、色々とお話させていただきました。
有賀先輩は高校3年のとき競技人生が終わるような怪我をされたにも関わらず、復活。どうしても入りたかった早稲田大学に進学するため浪人し、早稲田に入学。
競走部に入るも途中で同好会に籍を移し、5000mの同好会記録を樹立。(のちに僕がこの記録を更新)
その後筑波大学大学院に進学され、関東インカレ3部の5000mの大会記録を更新。
このときのレースを生で観戦しており、同好会にいても強くなれるんだと思わせてくれた先輩でした。


このブログを書き始めて一週間以上経っちゃった。
少しずつ進めたり、時間がなくて放置したり。
どう着地させるつもりだったのかも忘れてしまったので今回はここまで。