「ここからは山がみえる」2013が無事終了です。
ありがとうございました。
福岡、北九州、大阪、京都、弘前、三鷹、静岡 7都市ツアーでした!

多くの人に出会い、何人も再会できて、本当にいいツアーでした。

演出家田野とこの芝居を始めるとき、2人で回れるようなもの作れるといいね~って話してた気がします。いや、作ろうって言ってた。今となっては、2人では無理っぽいってことがわかりましたが(笑

制作モリチュウがいなければ、絶対無理でした(笑
こんなに多くの街で、こんなに多くの人と出会えなかったなあ~と。

そして、もっともっと多くの人に観てもらえる作品にできると思うんです。何というか、底がないというか、見えないと言いますか。

その場にいる人に話すという行為は、シンプルだけど、実に奥が深い。そうされたくないお客様もいるわけでして。だからこそ、「どう話すか」が問われます。セリフを話す、けど話す相手の状態は毎回違うわけで、だから、毎回相手から受ける情報も全く違う。

努力したのは、「そこに」話す、ということ。「そこ」とは相手だったり、場所だったり空間だったりするわけですが、「どこでもないところ」に話さないように気をつけました。

これはヒロシマ・モナムールでヴァレリー・ラングからいつも、そして強く言われてたことでした。
「ヒロシ、私を見て私に話せ、観客は忘れて、私に話せ。」

ヒロシマ~ではマイク使っていました。初めはこの狭い劇場で(スイスのローザンヌ、ヴィディ劇場キャパ100席くらいかな~)いるのか?と思ったのですが、作品が完成してみるとマイクは必需品でした(笑。声のトーンでも二人の親密さを感じてもらったのでした。まあ、自分で観てないから実際はわかんないですけどね。

どれだけ普通にしゃべる芝居をしてても、空間は意識下にあるものです。返ってくる音で声も決まってきます。返しのスピーカーはありましたが、それでもなかなか、声を定めるのに苦労しました。彼女がピンとくるトーンが出るには相当な集中力を使いました~おかげさまで、再生力は付きましたが。
まあ、これにはフランス語の難しさもおんなじ位関わってますが、それはまた、別の機会にwww

こうして考え始めた、そこにしゃべる、ということの、実験検証の場としてここ山はいい作品でした。そして、だからこそ、底がないわけです。もっともっといろいろな人に話してみたい。疲れはするけれど、やっぱり「しゃべる」って楽しいです。とおーーーくに「美しい」という地平が少し見えます。言葉が美しい。きっとあるんだと思います。だから、音に出す、出さざるを得ないようになる、気がします。


何度でも来たくなる作品について考えます。それはきっと、やる側とみる側がお互いに変化を感じられる状況なのでしょう。やる側は再演の度に変化を感じています。みる側もそれを感じれたらきっと何度もみたくなるような気がします。
いや、でもこの芝居はそもそもその分け方が成り立たない気もします。
だって、俺、ちょーみてますもの。
そうだ、俺がみています。

居心地悪いだろうな~www

そして、秋から冬はもう一度演劇に立ち返ろうと思います。
「愛のおわり」「もう風も吹かない」そして、カムヰヤッセンと続きます。今の俺は何を面白いと思って舞台にい続けるのか。
楽しみ~(笑。
そして、このツアーで1番かっこいい写真。うちの息子の後ろ姿。静岡、久能山東照宮の1159段の階段に挑もうとしているところです。
photo:01



ではでは。


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