おカネの歴史⑩ - 紙幣の登場 | 木下英範のブログ

おカネの歴史⑩ - 紙幣の登場

世界初の紙幣「交子」


世界最初の紙幣は西暦990年ころ、中国で生まれた「交子(こうし)」だといわれています。鉄が豊富な地方であったため鉄銭を使用していましたが、重くてかさばるため鉄銭の預かり証としての紙幣が広まっていったと考えられています。無記名式の預かり証ですから、誰でもこれを持って窓口へ行けば鉄銭と替えてくれます。発行窓口が正しく業務を行っていれば「預かり証=おカネ」という信用が成り立ちますから、これが通貨として広まっていったのでしょう。中国は世界で最初に紙を発明した国ですから一番最初に紙幣にたどりついたのは自然なことです。


 木下英範のブログ-交子

     交子


イギリスでは17世紀中ごろに「金匠手形(Goldsmith Note)」が発行されたのが最初の紙幣だといわれています。これは金の預かり証で、最初は銅板に記載されていましたが次第に紙になっていきました。実はイギリスよりも早く、世界で2番目に紙幣を使い始めたのは日本です。


日本初の紙幣「山田羽書」


日本で最初の紙幣が誕生したのは1600年ころ、伊勢山田地方の商人たちが、少額銀貨の預かり証として「山田羽書」という名前の預かり手形を発行したのが最初だといわれています。つまり、この手形を持ってくればいつでも銀と交換するよ、という証書であり、銀一匁と書かれた山田羽書は銀一匁と同じ価値を持ちます。そしてこれは第3者に渡しても有効です。銀は重くてかさばるので山田羽書でやりくりしたほうが便利です。また、商人たちは奉行所と組み、十分な引き換え準備金を用意するなど信用保持に努めました。


このような事情から山田羽書はやがて紙幣として域内広く流通します。みんなが使っていると安心して使えるため、ますます紙幣としての信用が高まります。そうして江戸時代全般を通じて使われ続けたのです。山田羽書のアイデアは後に、藩により発行され自治領で通用する紙幣「藩札(はんさつ)」の元になりました。ただの紙がおカネになるまでの最初の過程は世界のどこでもだいたいこのようなものです。しかしこの時点では銀の裏付けのある「兌換(だかん)紙幣」。裏付けなしで流通する本物の紙幣となるまでにはまだ時間が必要です。



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            山田羽書


藩札の登場


江戸時代に入ると、山田羽書をお手本に大商人らが次々と「私札(しさつ)」を発行するようになりました。紙幣の便利さが伝わってくると各地の大名もこれにならい「藩札」を発行しました。幕府貨幣を差し置いて藩札が流通することを危惧した政府は藩札禁止令を出しますが、藩では額面を米で表示して、これは米の引換券であるなどといった抜け道を探して使い続けました。


これには、経済が発展するなかで幕府の貨幣だけでは足りなくなっていたという事情があります。実際、地方では金銀貨よりも藩札のほうが主流であったといわれています。


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      藩札


偽札との戦い


金や銀などと違って紙幣は紙ですから誰でも容易に作れます。紙幣が誕生したと同時におカネの偽造との戦いも始まったのです。当時の偽造防止の手段としては下記のようなものがありました。


・素材にいろいろな繊維を混ぜる
素材に雁皮(がんぴ)、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)の一般的な和紙の材料に加え、竹や木綿などを混合し独特の紙質を得る。混合比は極秘とされた。現在でも日本銀行券の繊維配合は機密事項である。


・繊維を砕く
水の中で素材をたたくことにより、繊維の長さを短くし、その加減により独特の風合いを得る。


・泥を混ぜて質感・色を変える
名塩紙に用いられる泥土が有名。泥土を混ぜることにより紙質が滑らかになり、また強度を高める。泥土の色により独特の紙色を得られる。


・隠し文字を入れる
模様に隠し文字を仕込んだり、一般人には解読不可能なオランダ語や創作文字を配したりした。


・透かしを入れる
当時は白透かし(模様部分が薄くなり白く抜ける)が一般的。現在のお札には黒透かし(模様部分が黒くなる)が使用されている。現在でも許可なく黒透かしの紙を作ることは犯罪である。