福島駅界隈の線路付け替え地(2) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

前回は福島駅界隈の線路付け替え地を
旧国鉄西成線について見ました。
昭和30(1955)年から60年近く経てば
鉄道線路が付け替えられるのも
何ら不思議はありません。


今回は阪神本線の線路付け替え地を
目で確かめることにします。
阪神本線が現在の国道2号線地下を
走行する新線に切り替えられたのは
平成になってからです。
平成5(1993)年のことです。


では昭和30(1955)年当時の
線路跡の現在は
どのような場所に変わったのでしょう。

写真図1 昭和30年頃の福島駅界隈の地図
   拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院




当時の阪神福島駅の回想から始めましょう。
以下の引用は『水都大阪の民俗誌』
「「水都」周縁のマチの心象地図」からです。
●駅構内
福島駅で飽き足りない私たち一行は、
 梅田の操車場にまで出かける。
 国鉄の福島駅を左(南)に浄正橋筋に戻り、
 阪神の踏切を渡り、
 阪神の福島駅(⑳)を左(北)にして
 駅に沿って東に行く。
 次の踏切の手前の駅構内に
 阪神の線路の切れた所がある。
 そのレールは何故か、
 いつも錆びたままであった。
 線路に終わりがあるのが本当に不思議だった。


この「阪神の線路の切れた所」とは
今であれば、さてどこでしょう。

写真図2 「阪神の線路の切れた所」




ホテル阪神からラグザ大阪レジデンスに
かけては阪神福島駅構内でしょう。
写真は東方向に向いています。
毎日新聞大阪本社ビルが見えます。

西に進みますとホテル阪神に出ます。
昔あった交番所は、現在はなにわ筋(浄正橋筋)を
挟んで向かい側に移動しています。

写真図3 阪神福島駅⑳の西南




なにわ筋(浄正橋筋)を渡り真っ直ぐ西へ行きます。
写真図4 福島公園の筋の踏切附近




福島公園の筋の踏切附近で振り返ったところです。
線路の跡が「福島阪神クレセントビル」が
建っています。
写真左側のみごとな曲線が
線路のカーブを反映しています。
線路の先にはホテル阪神が見えます。
当時の阪神福島駅です。

線路は公園の北側に沿って延び
現在のあみだ池筋と交叉する所にまた踏切があります。


写真図5 あみだ池筋と交叉する所の踏切の東南




現在、金網のフェンスに囲まれている場所が
線路跡です。
写真では大阪環状線が平行に見えます。

線路は福島西通りを越え国道2号線に
近づくべくやや南にカーブします。
電車は掘り窪めた道路の上を通過します。
「「水都」周縁のマチの心象地図」から
引用します。
●ガード
少し行くと今度は阪神電車のガードの闇がある。
 ガードと言っても盛り土の下を掘り下げ、
 潜り抜けできるようにしたものである。
 かなり急な坂に掘り下げてある。
 闇の上を阪神電車が通過する時の
 轟音に指で耳栓をしていた。
 道中の難所で、しょっちゅう水が浸き、
 ここでコース変更もあった。
 この轟音を響かせるガードの闇は、
 怖いながらも楽しい場所だった。


写真図6 ガード




写真ではコンクリートの仕切りが
左から右手前になるにつれ
高くなっているのがわかります。
かつてのガードの個所が
掘り下げられていた跡です。
線路は写真の左から右に敷かれていたのです。
道路はこの先の福島西通り交差点に
向けてやや上り坂に見えます。


写真図7 新福島駅構内の地図




このあたりの現在の地図です。
《写真図1 昭和30年頃の福島駅界隈の地図》と
見比べてください。
60年の歳月はマチを通過する鉄道線に
変化をもたらせました。
そこに住む住民の暮らしの変化を
論究するのがボクの課題です。


11月1日(土)は浦江塾で発表。
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究会代表 田野 登