かむがかり「神懸」へ 暮らしの古典59話 | 晴耕雨読 -田野 登-

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大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の「暮らしの古典」は59話《かむがかり「神懸」へ》です。
前回、*古典文学全集本『古事記』の熊曽平定の段の展開で
「かむがかり「帰神」」したのは、神功皇后でした。
 *古典文学全集本;荻原浅男・鴻巣隼雄『古事記 上代歌謡』1973年初版
          (日本古典文学全集1、小学館
神功皇后とは、いったい何方なのでしょうか?

大阪には、さまざまな「神功皇后」が御座ります。
そのお一方が、坐摩社御旅所の方です。
*「八幡宮本紀」を引きます。
 *「八幡宮本紀」:貝原好古、元禄2(1689)年「八幡宮本紀」巻之三、
         『益軒全集』巻之五、1873年、国書刊行会
◆摂津国西成郡座摩の社は、神功皇后を祭れる所なり。(割注省略)
 古伝にいはく、神后西国より帰り上らせ給ひ、此所にいたり、
 大石の上に休せ(ルビ:やすらは-)給ひて、(割注省略)
 御饌(ルビ:みけ)し給ひける。此日賤女(ルビ:しづのめ)来りて、
 醤(ルビ:ひしほ)を奉りけるとかや。(割注省略)

神功皇后が腰かけられた時に賤女が献上したのは「醤(ひしお)」でした。
この話は、《「醤」暮らしの古典23》で一度、取り上げました。
  ↓ここにアクセス
https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12799660130.html
「醤」は今なら、さしずめ烏賊の塩辛のようなものです。
写真図1 焼酎の肴の「烏賊の塩辛」

「賤女」は御厨「みくりや」の民であって、
この段での「神功皇后」には、水上交易との関わりが認められます。

本題《かむがかり「神懸」へ》に入ります。
本居宣長『古事記伝』は、『古事記』の「帰神」に次の*註を記しています。
  *註:本居宣長著・本居豊穎校訂「古事記伝 自神武天皇至仲哀天皇」『本居全集第2』    1902年片野東四郎出版
◆帰神は迦微余理賜閇理伎(ルビ:カミヨリタマヘリキ)と訓べし、
 (歸ノ字は、記中に余理と云に多く用ひたり、
 又萬葉に神依板(ルビ:カミヨリイタ)と云あれば、
 余流(ルビ:ヨル)と云こと古言なり)

(歸ノ字は・・・・古言なり)は細註で、「神依る」の訓みを補足しています。
この細註に続くのが次の記事です。
◆又余理(ルビ:ヨリ)は加々理(ルビ:カヽリ)とも訓べし、
 大后に神の著(ルビ:ヨリカヽリ)坐るなり。

『古事記伝』は『古事記』天の岩戸におけるアマテラスの目前での
アメノウズメの次の記事を引き合いに出します。
ここで話題を転じて、「帰神」から「神懸」へと向かいます。
*『古事記』上巻の記事を引きます。
 *『古事記』:荻原浅男・鴻巣隼雄『古事記 上代歌謡』1973年初版
      (日本古典文学全集1、小学館)
◆(天宇受売命)於二天之石屋戸一伏二汙気一而踏登杼呂許志、
 為二神懸一而、掛二出胸乳一裳緒忍二垂於番登一也。
 爾高天原動而八百万神共咲。

「かむがかり」と訓む本文の用字に注目します。
アメノウズメは「神懸」し、胸乳とホトを曝け出して
八百万の神の笑いを取り、
アマテラスの隙に岩戸を押し開く場面です。

写真図2 後ろ姿のアメノウズメ

    正面はアマテラス


アメノウズメの仕種は正気の沙汰ではできません。
神懸りしたアメノウズメは、そののち神託を告げます。
『古事記伝』は、細註に「神懸」の訓みを記しています。
◆(彼ノ神懸(ルビ:カムガヽリ)は、上に為ノ字ありて、
 躰言(ルビ:ヰコトバ)なり、
 故レ加を濁りて訓るを、
 此処(ルビ:コヽ)は余理(ルビ:ヨリ)にても加々理(ルビ:カヽリ)にても
 用言(ルビ:ハタラキコトバ)なり、
 加(ルビ:カ)濁るべからず、
 但し下なる帰神は加牟賀加理(ルビ:カムガヽリ)と訓べきなり、
 其由は彼処に云べし)

天岩戸記事の「神懸」の訓みに倣って、
皇后「帰神」を「かむがかり」と訓むべしと述べています。
神懸かりした皇后の口から発せられた「神の言葉」
「西の方の国を服属すべき(「帰二賜其国一」)」を
詐り神と詰った(「謂二為レ詐神一」)
夫・仲哀天皇は神の怒りを誘い、
幾許もなく絶命したことは、前回、取り上げました。

『古事記伝』は、「帰神(かむがかり)」記事に多くを費やしています。
その『記伝』の矛先は、『日本書紀』記事に向けられます。
「財宝国」(新羅)事向けに絡めて
「書紀」(神功皇后摂政前紀の冒頭)記事を批判しています。
◆抑此ノ大后にかく神の託(ルビ:ヨラ)し賜へりしは
 尋常の細事には非ず、永く財宝国(ルビ:タカラノクニ)を
 事向*(平定)定め賜へる起本(ルビ:モト)にしあれば甚も重き事ぞかし、

神懸かりした皇后に憑いた神は、皇后の口を借りて
「西方の国には財宝がたくさんある。
 その国を服属させてあげようと思う」と神託したのでした。
この神託は決して軽々しいものでは無いとして
細註に続けて記します。
◆(然るに*(日本)書紀に、此ノ皇后ノ御巻ノ初メに、
 幼而聡明叡智、貌容壮麗とのみ記して
 甚も貴き霊(ルビ:クスシ)き神帰(ルビ:カムガヽリ)の事をしも漏し賜へるも、
 いかにぞや、漢(ルビ:カラ)めかぬ事なればなるべし、

「神功皇后摂政前紀」冒頭には
「幼而聡明叡智、貌容壮麗」といった紋切調の美化した記事を挙げています。
この漢字10文字を*古典文学大系1967年の頭注には次の記述があります。
 *古典文学大系1967年:坂本太郎ほか校注『日本書紀上』1967年、
            日本古典文学大系、岩波書店
◆東観漢記、孝明皇帝紀巻二に同じ文がある。

「東観漢記」とは『ウィキペディア(Wikipedia)』には
「後漢(25年から220年)の歴史を記した歴史書」とあります。
「神功皇后摂政前紀」冒頭記事は漢書を丸写ししたとの指摘であります。
そればかりか、宣長自身が挙げた、
皇后「帰神」の不思議な言動の書き漏らしを指摘しています。
熊曽平定の際の皇后「帰神」をめぐる経緯を『記伝』記事を軸に、
神を降すサニワ「沙庭」の場を検証することにします。

究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登