2023夕陽を見る会ずっこけレポート | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

昨年も恒例の夕陽を見る会を実施しました。
大阪区民カレッジ中央校の受講者で
新たな会友になられた橋本佳史会友から
お願いしていた感想をいただきました。
字数の関係で(中略)を入れて載せます。
◆師走の押し詰まった12月30日の街歩きに初めて参加しました。
 JR鶴橋駅改札口で集合、十数人の参加者でした。
 晴れて暖かい日でした。
 まず鶴橋の焼肉街を通っていくと建物マニアの会友が、
 鉄道の盛土のブロック擁壁にくっついている家を発見。
 鶴橋は戦後の闇市が発展したところと聞いていたので、
 納得しました。
 また変形の小さな空き地があったので、
 闇市でどういうドラマがあったのかと空想しました。
 日赤病院の前の桃坂で上町台地を感じながら上りました。(中略)
 一般的なルートでないことと
 テーマを持った街歩きだったので楽しく歩けました。
 今回は上町台地から生駒の山々を眺めることもテーマになっていました。
 残念ながら気温が高く空が霞んでいてはっきりとは見えませんでしたが
 所々で確認できました。 
 先生、スタッフの皆さんありがとうございました。

以下、田野による書き込み。
今回のマチ歩きのナビゲーターは今村一善会友。
企画アシスタントは東野利明会友。
ナビゲーターは地学の教師だけあって、地球上にある出来事すべてに
好奇心ムンムンの方です。
鶴橋での「抜け殻(建物跡)」発見が果たして「戦後の闇市」に繫がるや如何?
鶴橋を抜けて「日赤病院の前の桃坂」で振り返ってワンショット。
写真図1 桃坂から東を臨む

天王寺区の「区の花」は桃です。
歩道に引かれた小さな曲線に「上町台地を感じ」とってください。
上町台地の東斜面「百済野」は日赤病院はじめ病院があり、
有名な産婦人科病院もあれば、ラブホテルもありなんですネ。
生と死の一齣が垣間見えます。
懸案の折口信夫が通った大阪府立第五中学(天王寺中学校)跡へは、
難波の朱雀大路を跨いで上之宮の町を西進しました。
目指すは大阪国際交流センターのゲートです。
天王寺中学校跡を発って、上町筋を南進し「上町台地から生駒の山々を眺め」るも
微かな稜線を眺めて、十三峠どこかいナで判然としません。
天王寺区役所前、毘沙門池跡碑でひとくさり。
写真図2 天王寺区役所前、毘沙門池跡碑 撮影:久木治男会友

要は、折口が放課後時間を過ごした毘沙門池畔には
下級宗教者が屯していた当時は、溜め池であったが、
大正末から埋め立てられ区役所をはじめ、宅地が造成されたようです。
折口が眺めた寿法寺のある池の南西の高台を経て
四天王寺、東門を潜り西門。
西門石の鳥居の扁額を眺めて、逢坂を下って歩道橋の上でワンショット。
写真図3 逢坂の歩道橋の上から東の眺め

右(南)一心寺、左(北)安居天神。
一心寺西の崖は海蝕崖で、
中世、西は海で「入り日を洗う波」を想像しました。
この後、合邦辻焔魔堂へ。
足代健二郎会友の玉手御前の継子・俊徳丸への偽りの恋の話は成る程でした。
松屋町筋を、少し北進、すぐ右手(西)は生活困窮者が多く住んだ長町裏。
建て替えられた日東住宅(日本橋東住宅)に
今も祀り継がれている地蔵堂の角から真南の通天閣を眺めました。

写真図4 日東住宅角の地蔵堂からの通天閣
                             
長町裏の場所性を確認しました。

大阪メトロ恵美須町から乗り換えて大阪港駅に。
「今年の夕陽や如何?」
写真図5 海遊館下通路からの西の海

案の定「今年は海が焼けてへん」少々、悄然。しょんぼり。
久木会友撮影の写真は雲間の太陽を辛うじて捉えています。
写真図6 サンセット広場での夕陽 撮影:久木治男会友

例のように阪俗研スタイルで
思い思いに暫し、西の海を眺めていました。
皆さん、何を思っているのかは知りません。
手を合わす会友がいたりもして、ボクも真似しました。
写真図7 記念写真 撮影:久木治男会友

乞われて大阪締め。今回は海老江流でやると公言しながら
「イオウテサンド、チョチョンガチョン」で
お馴染みの大阪締めで、皆さんずっこけ、非難轟々。
今回もヘマばかりのボクでした。
精進落とし、ナオライ「直会」は、
コロナ禍も治まり今回、堂々と済ませました。
2023年、平成5年の厄落としを無事に終えました。
思えば往った年もアホな一年でした。
今年もアホなことを真剣に考えて生きることにします。

究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登