節分の鬼《結》 暮らしの古典64話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

昨日2024年2月3日《福っくらトーク》を終え、

帰りに海老江八坂神社(大阪市福島区海老江6)の

節分祭に東野利明会友、今村一善会友と3人で詣でました。

待ち受けていたのが「鬼は外」の門でした。

写真図1 海老江八坂神社の「鬼は外」の門 

鬼の口に立つのは東野会友です。

節分に鬼は各地の社寺に登場します。

その鬼は折口信夫によれば何者なのでしょう。

*1924年「信太妻の話」から引きます。

 *1924年:*「信太妻の話」『折口信夫全集2』1995年、中央公論社

初出:1924年4・6・7月、『三田評論』320・322・323号)

「おに」の下線は引用文の傍線です。

漢字「鬼」とは相違があるようです。

◆鬼は仏家の側ばかりで言ふおにではなく、

社々にもある事である。

村里近い外山などに住み残つて居た山人を、

我々の祖先は祭りに参加させた。さうして其をも、おにと言うたらしい。

 

「村里近い外山などに住み残つて居た山人」を「おに」と言うたとあります。

折口の「おに」は、『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店の

おに【鬼】」では「②伝説上の山男、巨人」が対応します。

この「おに【鬼】」は必ずしも悪行をはたらくばかりでは無さそうです。

『民俗語彙』から2,3挙げます。

 『民俗語彙』:『綜合日本民俗語彙』第1巻、1955年、民俗学研究所、平凡社

◆オニズツミ 伝説 鬼堤。熊本県下益城郡豊田村にある。

鎮西八郎が鬼と約束して一夜のうちに掘らせた池といい、

鶏を夜啼きさせたので鬼は去り、人身御供の娘は助けられたと伝えている(郡誌)。

 

この場合は、池を掘る約束を果たそうとした鬼が騙されて逃げ出す話です。

結果的に鬼はタダ働きをさせられ人身御供も奪還されました。

同然の水路工事の約定が「鶏鳴きのまね」に騙されて逃げ去った話は、

折口信夫1929~1930年*「壱岐民間伝承探訪記」にも見えます。

 *「壱岐民間伝承探訪記」:「壱岐民間伝承再訪記」『折口信夫全集18』1997年、

中央公論社、初出:1998年9月~12月、1930年2~4月『民俗学』第1巻第3~6号、第2巻2~4号

 

次の『民俗語彙』「鬼神塚」の事例や如何?

◆オニガミズカ 呪術 鬼神塚。埼玉県秩父郡浦山村で、

鬼神様は大力を与えてくださる神様だといい、

木の枝に青鬼赤鬼を書いて門口に吊す(山村調査)

 

神として崇められる鬼の御利益は大力を与えることです。

柳田國男1925年*「山の人生」には鬼を神として祀る村「鬼沢村」に

怪力の人が輩出したといい、その代わりに

五月の節供に菖蒲を葺かず、節分に豆をまくなかれと言った話もあります。

 *「山の人生」:】「山の人生」『定本柳田國男集』第4巻、1963年、筑摩書房、

初出1925年1月~8月『アサヒグラフ』4巻2号~5巻7号

次に示す「オニダ」の伝説は善行といえましょう。

◆オニダ 伝説 鬼田。佐渡の内海府村黒姫にある。

昔ここに毎年5月4日の夜中を期して鬼が来て田植をしてくれた

ある年主人の不在を幸として家来の者が秘かに見に来て、

それからは来なくなったという(日本伝説・佐渡)。

 

ここまでは善行をしつつ人間の仕業に退散した鬼さんの話です。

 

退散するのは、豆を投げつけられる節分の鬼も一緒です。

まず節分に豆まきをするお寺の看板に描かれている鬼の形相に注目しました。

まず浦江聖天(福島聖天)の鬼さんは、

2本の角、縮れ毛、牙、虎柄の褌、金棒を持った赤鬼でした。

写真図2 浦江聖天(福島聖天)の節分の看板 2024年1月14日撮影

築港高野山の鬼さんは、

2本の角、縮れ毛、大きい目玉、虎柄の褌、金棒を持った赤鬼でした。

写真図3 築港高野山の節分の看板 2024年1月27日撮影

何れの鬼も、よく似ています。

これらの鬼の形相に関して柳田國男前掲の1925年「山の人生」に次の記述を想起しました。◆オニなども今では角があつて虎の皮をたふさぎとし、

必ず地獄に住んで亡者をさいなむ者の如く、解するのが普通になつたらしいが、

その古来の表現は誠に千変万化で亦若干は之に充てたる漢語の鬼の字に由つて、

世上の解説を混乱せしめて居た。

 

「たふさぎ」とは褌ですので100年前も今も鬼さんの恰好は変わり無さそうです。

「地獄に住んで亡者をさいなむ」鬼は夙に「地獄絵」に見えます。

「地獄絵」の鬼の形相を鎌倉時代成立の『北野天神縁起』から読み解きます。 

今日の鬼のモデルは『北野天神縁起』「地獄絵」の鬼かも知れません。

 

*『絵引』には、承久元(1219)年に描かれた『北野天神縁起』

「六道図地獄絵」に鬼の画像が5点7体載せられています。

 *『絵引』:『新版 絵巻物による日本常民生活絵引』第一巻、

1984年第1刷、渋澤敬三編、平凡社

これらの鬼の画像を読みました。

「 」内は『絵引』記述からの引用です。

①    枝分かれした二本の角、大きな牙、丸い目、ちはやを着、褌を締めた巨人

:「106図 褌 第八巻、六道めぐりに出て来る鬼の姿である。

*ちはやを着、褌をして死者の髪をもってひきずっている。」

②角無し、縮れ毛、丸い目、獅子鼻、褌を締めた巨人

:「111図 まな板・まな箸「第七巻、六道絵の中の一齣、

鬼が死人をまな板の上にのせて切っているところ。」

③    角(頭にある突起物)4本、牙、縮れ毛、大きな目、獅子鼻、

牙のある狒々のような顔で褌を締めた巨人

:122図 手斧「第七巻、六道図地獄絵のうち。鬼が死人を手斧で削っている。」

④-1牛のような角、縮れ毛、大きな目、牙、裾まくりした巨人、

④―2角無し、長髪、大きな目、獅子鼻、牙のある顔で褌を締めた巨人

:123図 鑿・やりがんな「第七巻、六道図地獄絵のうち。死人の一人が鑿で切られており、一人はやりがんなで削られている。そのそばで一人*(女)が泣いている。」

⑤-1角無し、長髪、大きな目、獅子鼻の顔で褌を締めた巨人

⑤-2角無し、大きな目、獅子鼻、無精ヒゲ面で褌を締めた巨人

:124図 墨縄「第七巻、六道図地獄絵のうち。鬼が死人に墨縄をうっている。」

 

以上、『北野天神縁起』の画像から鬼の形相を読み解きました。

これを部位毎にまとめました。

(1)角:①、③、④-1:3/7体

(2)縮れ毛:②、③、④-1::3/7体

(3)獅子鼻:②、③、④-1、⑤-1、⑤-2:6/7体

(4)牙:①、③、④-1、④-2:4/7体

(5)丸い(大きな)目:①、②、③、④-1、④-2、⑤-1、⑤-2:7/7体

(6)褌:①、②、③、④-2、⑤-1、⑤-2:6/7体

(7)巨人①、②、③、④-1、④-2、⑤-1、⑤-2:7/7体

(8)長髪:④-2、⑤-1:2/7体

(9)無精鬚:⑤-2:1/7体

今日の「2本の角、縮れ毛、牙、大きい目玉、虎柄の褌」の原形は

承久元(1219)年『北野天神縁起』に基づくと考えてもよさそうです。

意外なことは、鬼の角が全部にあると思っていた予測は外れました。

『北野天神縁起』の巨人は今日の看板では体格が測りがたいものです。

因みに鎌倉時代に描かれた『長谷雄卿草紙』、『春日権現記』の何れも

巨人でもないし角も生えていません。

     

今日、出回っている鬼の原形と見なされる『北野天満宮縁起』の鬼に対する

折口の考える鬼を*「神々と民俗」1954年記事を挙げます。

 *「神々と民俗」:「神々と民俗」『折口信夫全集20』1996年、中央公論社、

1954年1月『瑞垣』第16号)

古代においては鬼は「巨人のやうなもの」を意味すると記した上で次の記述があります。

◆我々の見る所では、北野天満宮縁起《ママ》あたりになると、

もうすつかり今のまゝの形になつてゐます。

これは古代における鬼が、そんな形であつたのではなく、

鬼といふ観念にあてはまるものを想像した結果、さういふ姿をとらへたのです。

だから古代人の考へてゐた鬼とは、全然違つて来た訣です。

 

折口は続けて『北野天満宮縁起』の鬼の姿からから想起される、鬼の性質にまで言及します。

◆姿はまだしも、その性質に至つては、非常に変化しました。

以前のものの中の最おそるべき精神を持つたもの、と言ふ風にさへ

考へる様になりました訣です。

だから鬼と言へば、残忍無慚なもので、その憎むべき心を、

悪鬼羅刹といふ語で表してゐるくらゐです。

 

抑も鬼打ちの起原や如何?

折口信夫1932年*「年中行事」を引きます。

 *「年中行事」:『折口信夫全集17』1996年、中央公論社、

1930年8・10月、1932年6~9月『民俗学』第2巻第8・10号、

第4巻第6~9号)

◆節分の夜には、追儺と言うて、炒つた大豆を「福は内、鬼は外」と呼びながら、

戸障子に打ちつけて鬼遣ひをする。

これは陰陽道と共にわが国に移されたもので、

方相氏が楯を持つて鬼を追ひ払ふ式が中心となつた支那の民俗である。

 

写真図4 冷泉為恭画『公事十二ヶ月』(1843年)に見える追儺

     国立国会図書館デジタルコレクション

折口は渡来の「鬼を追ひ払ふ式」としての「追儺」に続けて

日本古来の「おに」について言及します。

◆日本では、おには神の妖怪化したもので、巨人と言ふ事である。

年越しの夜に来るものには、歓迎すべき分子と、怖ろしい分子とがあつた。

其を神と鬼に分けて、鬼を追儺の時に追ひ払ふ。

だから、節分の追儺の鬼-支那から移されたものと考へられてゐる-を

解剖して見ると、

日本に在来した土地を守る神が翻訳せられてゐる事が訣るのであつて、

全然新しいものではなく、又悪いものとばかり

決着をつけてしまふ事の出来ないのである。

 

 

*「淡雪の辻」(48首)の1947年作歌に春を告げる「山の鬼」が詠まれています。

 *「淡雪の辻」:『折口信夫全集25』1987年、中央公論社

〽山の鬼 里におり来て舞ふ見れば、しみゝに 春は到りけらしも ー豊橋鬼舞

 

折口の「おに」は、『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店のおに【鬼】では

「②伝説上の山男、巨人や異種族の者」が対応します。

日本古来の「おに」である「土地を守る神」山人・山神を迎える日こそ,

追儺以前の節分・年越しであったとするのが折口信夫の「おに(鬼)観」のようです。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登