厄落とし(後篇) 暮らしの古典66話 | 晴耕雨読 -田野 登-

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大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の「暮らしの古典」は66話「厄落とし(後篇)」です。

「暮らしの古典」65話「厄落とし(前篇)」には、

次のように予告しました。

◆擲たれるのは、豆・銭・米だけでは済みません。

  節分の夜に投げ棄てられる物はもっと汚い物もあります。

  次回は、豆から一旦、離れて、豆に戻ります。

  それらのモノに迂回することによって

  節分の「厄」といった観念が明らかにされることでしょう。

 

「もっと汚い物」とは何でしょう。

文化12,3(1815、1816)年頃の*『風俗問状答』のうち、

「常陸国水戸領風俗問状答」を引用します。

 *『風俗問状答』:『日本庶民生活史料集成』第9巻、1969年、三一書房、

「常陸国水戸領風俗問状答」

◆103 節分/豆升に入、福は内といふ斗(*ばかり)(中略)、

  厄年の人、四通交上にて褌に豆と銭をつけて脱し落し帰る。

  厄を除といふ。

 

「褌に豆と銭をつけて脱し落し帰る」とあります。

「豆と銭」が付けられていたのは、「褌(ふんどし)」でした。

旧年中、旧冬中に締めていた褌を路上に落として帰って行ったのでした。

「備後国品部郡風俗問状答」の「厄除け」行為や如何?

◆103 節分 豆まきの事/(上略)此夜又除夜に厄払と申て、

  銭三文又は月の数、年の数、阡陌に棄、祈事する者も御座候、

  又身にまとい候物を棄て候者も御座候。

 

「阡陌」とは「畦道」です。

「身にまとい候物」とは着衣です。

棄てられるモノが「厄」ならば、

身に纏う物が「厄」の形代「かたしろ」なのでしょうか?

ここまで来れば折口信夫を頼りにしても許されるでしょう。

*折口信夫1938年には、浅草観音で女性の着衣が捨ててあったことを

追想します。

 *折口信夫1938年:「春立つ鬼」『折口信夫全集17』1996年、中央公論社、

初出:1938年4月『俳句研究』第5巻第4号

◆厄落しといふことは、昔からいろんな方法で行はれてたのだが、

  節分の日には盛にしたものだ。

  現今でもする地方があるだらう。

  浅草観音の境内なぞには、

  女の湯具が捨てゝあつたりしたものだ。

  節分の晩には、道端に穢れたものを捨てる風習があるのだ。

 

湯具とは新村出編2008年『広辞苑第六版』岩波書店で確認しましたが、

「女の腰巻。ゆまき。

浮世風呂[3]「女の―といふ物は白木綿二布に規した物で、

膝から下へ下げる物ではない」とあります。

厄落としに捨てられた物は「厄の形代」であるならば、

湯具は「穢れたもの」で「厄」は「穢れ」であるのでしょう。

さらに折口は一書にあった大事な物の入った犬張り子の記事を思い起こします。

写真図 イラスト犬張り子 作者:小野素材

引用文の続きには「道端で拾つた犬張り子の中に、

櫛と湯文字とが這入つてゐたといふ記事が、一書に見えてゐる」とあります。

櫛と湯文字が中に入った犬張り子が

捨てられている記事を思い起こし次のように犬張り子なる物を想像します。

 

「犬張り子は始終人の寝起きする側に在つて、身の穢れを吸ひ取つたのである」と。

房事を「身の穢れ」とみています。

この節の結びは以下のとおりです。

◆節分の晩は、

  ちようど生活が新しくなる境目と考へられその故に穢れを捨てたのである。

 

節分の夜、落とされるべき「厄」は、

おのがみ「己の身」に取り付いた「穢れ」なるモノなのでしょう。

 

身体を撫でる習俗を『風俗問状答』「節分」に舞い戻って探ります。

「淡路国風俗問状答」を挙げます。

◆108節分豆まきの事/(上略788頁)金屋組と油谷組には、打豆を紙に包み、

  惣身を撫、人知らざる様往還道へ捨る。是を厄払と云。

 

この事例は前篇の最初にシンプルな事例

「備後国深津郡本庄村風俗問状答」にあったのとの違いは

「惣身を撫」が記述されていることです。

 

*折口1938年には、「豆は何のために撒くのか」について次のように記述しています。

 *折口1938年:「春立つ鬼」『折口信夫全集17』1996年、中央公論社、

初出:1938年4月『俳句研究』第5巻第4号

◆豆は何のために撒くのか。鬼を打つためであると解釈してゐる。(中略)

  豆は、宮廷などでも、小豆を以て手を洗ふ代りに、古くから用ゐられた。

  此は、洗ふといふよりは、小豆に穢れを移すことになるのだ。

  節分の豆は、小豆を用ゐなくなつてゐるが、

  其で身を撫でゝ、旧冬の穢れを持つて行かせようとした意義が、

  更に移動して鬼の食物、鬼打ち豆といふ考へを生じたのではないか。

 

宮廷記事に「小豆を以て手を洗ふ代りに、古くから用ゐられた。

此は、洗ふといふよりは、小豆に穢れを移すことになるのだ」とあります。

このように小豆の効用に穢れを移すを挙げています。

 

一方の柳田が監修する*『民俗語彙』の「トビオヒネル」項の「正月十三日」の晩」に

次の記述があります。

 *『民俗語彙』:『綜合日本民俗語彙』第3巻、1955年、民俗学研究所、平凡社

◆東北では岩手県下閉伊郡など正月十三日の晩に厄年の人を、

  オヒネリに年の数だけの銅銭を包み、

  痛いところの無くなるように/丈夫になるように/と唱えごとをしながら

  身をこすり、それを四辻に持つて行つて棄てる。

  子供たちはそれを拾うが、すぐに菓子を買い、

  銭のままでは家へ持ち帰らぬようにしている(郷研6ノ1)。

 

正月13日の晩は小正月の前、立春の前夜の節分に対応します。

豆ならぬ銅銭で「身をこすり」四辻に棄てます。

「銭のままでは家へ持ち帰らぬ」のは、銭が呪物であって

厄を移し、穢れたモノであったからでしょう。

この事例の厄は、使い古し痛んだ、己の「身」であって、

形代は銭で、この記事からは「厄年の人」当人の「わざわい」が

「痛いところ」のある身であることがわかります。

今回の「暮らしの古典」は、

撫でるといった行為を軸に「厄落とし」を考えてみました。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師 田野 登