子供たちが春休みで、ブログの更新のペースが落ちていてすいません!

 

遅くなってますが、ブチャの件でどうしてもこれだけはシェアしたい関連情報をまとめました。

 

「ブチャの虐殺」の真相:ウクライナによる演出大失敗でNATO諸国からも冷ややかな目」の続報になります。

 

 

 

★ブチャ虐殺直前に親ロシアの政治家が殺害されていた件:ロシア軍部は逃げるように説得しようとしていた

 

ウクライナの親ロシア派政治家の死について
https://www.rt.com/russia/553702-bucha-ukrainan-politician-murder/

 

 

 

4月11日【RT】

 

・ウクライナの退役軍人で政治家(大統領候補)であったアレキサンダー・リャブザスキー氏( Alexander Rzhavsky )の死亡に関する音声録音が発見された。

 

3月30日にロシアがブチャから撤退してからまもなく、キエフ郊外のブチャで彼の死体が発見されている。

 

・この親ロシア的スタンスをあきらかにしていた政治家は、3月27日にロシアの軍人によって「妻と姉妹の目の前で殺害された」とされていた。

 

しかしRTが入手した音声録音を聞くと、同氏はロシア軍部と密接に連絡をやり取りしていたこと、そしてロシア軍部がブチャから撤退する前に同氏もそこから撤退することを軍部は彼に強く勧めていたことがわかる。

 

しかし同氏は、ブチャの「自宅へ向かう」といい、軍部の人物から激しい反論を受けていた。

 

「後日、あなたが自宅に戻られた後に、命を失ったあなたを見つけ、それを私たち(ロシア)の犯行とされることのないよう、あなたをここブチャから引き離す決定がなされるでしょう」

→問題の音声録音は、リンク先の動画から聞くことができます。

 

親ロシア派の政治家を、なぜロシア軍が殺害する必要性があるのかなど、ウクライナの主張には相変わらず整合性がありません。

 

 

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★キエフ近郊で「ロシアによるブチャの虐殺」説に反対する市民は反逆罪で連行されている

 

https://t.me/wakeupjapancomeon/2043

 

キエフ周辺で、「ロシアによるブチャ虐殺」に反対する意見の市民や、ロシア国内の親戚の電話番号が書かれた紙きれを持っている者、あるいはロシア軍からの支援節を持っている市民は、反逆罪として逮捕されている。つまり、証人を消していっているのだ。

 

 

 

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★近郊の集落で身柄を拘束されたウクライナ兵捕虜の証言「上層部から、ブチャ虐殺の報復として市民を殺害するように命令を受けた。拒否したら武器を奪われた」

 

(出典:テレグラムの動画

 

「ブチャ虐殺」への報復として市民20人を射殺するようにという、命令をネオナチの右派セクター(Pravy)から受けていたウクライナ軍捕虜

 

「私たちが(ルハンスクの)ルビージュネ(Rubezhnoye)に来て、配置についた後、私たちのところに20人ほどの人たちを連れてきました。男性も女性もいました。(ロシアの管理を受けることを示す)白い布を腕に巻いた市民でした。

 

その市民らは、Pravyセクターのネオナチ部隊によって連れてこられたのです。
そこに私たちは6人とあと、2人がいました。

 

そしてその市民を射殺するように命令を受けたのです。

 

どうしてそんなことを私たちがしないといけないのか、疑問に思いました。
右派セクター(Pravy)の人間で命令をしている人物は、これはブチャ虐殺に対する報復だと言いました。ブチャで殺害されたとされる市民のための報復だというのです。

 

私たちはその命令に反対しました。

 

そのため、私たちの武装は取り上げられ、そこの縦坑のガラージに連れていかれたのです。

 

その司令官のコードネームは、私たちは聞いていません。その人たちは以前にも、その後にも一切、みたことがありません。

(動画終了)

 

(出典:テレグラムの動画

(画像:捕虜が連れていかれた村民の集団墓地。ウクライナ軍による爆撃によって死亡した人たちが埋葬されている)

 

 

(画像:ひたすら頭を下げるしかできない捕虜の方たち)

 

 

★ブチャの葬儀に参加する右派セクター

 

(出典:テレグラムの動画

 

 

 

この動画は、イギリスの大衆紙SUN紙上のもののようです。

 

ブチャの路上で行われた葬儀に参列する超国粋主義者の様子。右派セクター(Privy)のようだ。

 

 

 

・ロシアによってブチャで市民が「虐殺された」とウクライナは主張していますが、さらにロシア派を示す市民を殺害することの、どの辺が「報復」なのかは理解しがたいところです。

 

むしろ、ロシアを擁護した市民、あるいは目撃者を殺害させようとしただけなのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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★ブチャでの「虐殺」を撮影したカメラマンには「前科」も

 

 

 

ブチャで写真を撮った写真家は、2008年にグルジアのゴリで写真を撮ったとして非難されたロイターのグレブ・ガラニッチだ。

 

 

ゴリで殺害された一人の遺体は、良いアングルを求めて街中を移動していたことが証明されている

 

ブチャの後、ガラニッチはクラマトルスクに向かっていた。

 

 

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★勝手にブチャで死亡していたことにされていた女性

 

 

(出典:テレグラム

画像左のコメント:(Linda Guzhvaという名義で書かれたもの)

「世界の皆さん、こんにちは!

私はかつてブチャに住んでいたナターシャと言います。

私はウクライナ人だから、というだけでロシア軍によって殺されてしまいました」

 

このようなSNSの投稿が世界中に拡散された次の日、ナターシャさん本人が「その投稿は誤解で、私はまったく元気に生きている」と話しています。

 

 

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★ブチャの真相を明らかにする資料はべラルース経由でロシアが入手

 

 

 

 

ウラジミール・プーチン大統領:「ブチャの件ですが。
私は今でも、西側諸国の同僚とよく話します。 そして西側の政治家が私に『ブチャ』と言うとき、『ラッカに行ったことがあるか』と私は尋ねます。

このシリアの都市が、上空からアメリカの航空機によって、地面まで完全に破壊されたのを見たことがありますか?と。 そしてそこには、確かに死体が何ヶ月も廃墟の中に横たわり、腐敗していたのです。それまで誰も事件を起こさず、誰も気づきもしませんでした。

アフガニスタンで殺された何百人もの民間人のことを誰も覚えていないようにその件については話さないように!と言われているのでしょう。

しかしシリアで挑発行為が行われたとき、そのような沈黙はありませんでした。 アサド政権による化学兵器の使用(という虚構が)描き出された時です。 そして、それは偽情報であることが判明しています。 ブータンでも同じフェイクがありました。

 アレクサンドル・グリゴリービッチ(べラルースのルカチェンコ大統領)は今日、私に資料をくれました。

それはロシア連邦保安庁(FSB)に転送されています。どのように、誰が、この居住地に来るためにどんな輸送手段を使い、この挑発と偽りを組織するための条件を整えたのかを明らかにしたものです。
 

 


●プーチン大統領やルカチェンコ大統領による正式な発表の少し前に、囁かれていた噂がこちら。

 

(出典:テレグラム

 

ウクライナ保安保安局の職員二名がウクライナから国境を越えてべラルースへ入国

 

この職員らは、ブチャでの偽旗作戦に関連した資料を持っていると言われている」

 

(出典:テレグラム

 

「ベラルースのルカチェンコ大統領は、ブチャでの出来事はイギリスによる特殊任務であった、と発言している」