今年、令和六年、2024年も1月に入り3週間が経とうとしています。

 

世間の普通一般の皆さんのライフワークも落ち着いたようで良かったです。

 

私は東京都の出身で1996年からスポーツクラブに就職し、配属先で横浜市港北区に来ました。

 

都会暮らしが合わなくて、2000年に単身横浜市へ移転しました。

 

それから港北区で23年間を過ごしました、2020年3月にコロナウィルス感染症拡大問題があり、港北区でステイホーム、

 

「三密:密接、密閉、密室」を避ける、ということで私の長く仕事をして来たスポーツクラブ・フィットネス事業の業界は大打撃を受けました。 

 

当然、「従業員の人々が区外や市外から来るということや、屋内で不特定多数と接触する」ことが理由で、営業停止、その後も感染者の出たクラブは閉鎖、保健所の管理下におかれ、厳しい制約の本での再開、ということを繰り返して来ました。

 

途中で教室運営は再開出来ましたが、フィットネスの仕事は多数が辞める人が出て、私自身は港北区のクラブで土日だけの指導になりました。

 

平日の教室もなんとか継続しましたが、今現在横浜市内でも肥大化し都会との中継所・ハブ的な位置づけで人口はとても増えてしまい、コロナ期間は何度も戦慄が走る出来事があり、やはり制約が気になり、市外やレジャーも全部控えていました。

 

そういったこともあり、新天地で新しい生活活動・ライフワークに切り替えようと決意して、横浜に転居してから、よく来ていた「金沢区:金沢文庫、金沢八景」で暮らそうと始めました。

 

金沢文庫は、図書室に多くの古くからの文化交流での書物が多くあり、調べ物や勉強で来ていました。

 

金沢八景は、潮干狩りで2回ほど来ていて、とても素晴らしい土地だと知っていました。

 

こうして1年住まわせてもらって、歴史長く海と緑の街の標語通り、とても良い生活空間です。

 

 

空気の質感がとてもよく、良い雰囲気で静かな場所が多く、

 

私の晩年に向けた太極拳、健身気功生活はとても充実したものになっていくと確信しました。

 

今感じるのは、東京で鍛えられ、横浜に出て社会に揉まれ、後に素晴らしい生活環境がご褒美であったことに感謝します。

 

金沢区は人口動態でも少しずつ影響は受けると思いますが年配の皆さんは元気な方々が多く、地元で取れる新鮮な海産物や、三浦野菜が豊富で、衣食住は最高です。

 

 

 

そして、私のこれまで過ごした生活環境の中で、地元の人々は優しく、秩序が安定して治安も保たれ、平和な街で暮らせることに感動しています。

 

実は来年2025年は私の中国・上海での往来と交流が、1985年からなので40周年になる予定でしたが、もう世界の状態が不安定なこともあり、交流活動は止めて、日本国内、横浜市、神奈川県内に集中して行って参ります。

 

これまでに学んで来たすべてを、この歴史長き金沢区に託して、様々な新しい普及事業を応用を利かせていろいろとしていきます。

 

これからもよろしくお願い申し上げます。